【キラリ大地で】アメリカ 大湾節子さん(旅行写真家、エッセイスト)


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旅先で撮った多くの写真が飾られた室内で話す大湾節子さん=6月7日、ガーデナ市のアパート

 旅行写真家で旅行記『幻の旅路』の著者、エッセイストでもある大湾節子さんが「心のふるさと」と題して沖縄で講演をすることが決まった。11月15日に那覇市の「てぃるる・沖縄県男女共同参画センター」で行われる予定。

 大湾さんは1945年、沖縄出身の父と長崎県出身の母との間に東京で生まれた。東京大空襲で家を焼かれ、一家は世田谷へ。同級生には首相の息子や文化勲章を受章した音楽家の娘がいた。先日亡くなった町村信孝さんもクラスメートの一人。
 67年に昭和女子大学の英米文学科を卒業。19歳で自己表現の手段として映画製作に興味を持つ。父の他界を機に69年6月、渡米。南カリフォルニア大学(USC)大学院のシネマ科に5年間在籍し、経済力も英語力もなく、苦労する。
 働き始めるが会社の倒産をきっかけに旅に出る。平和主義者でビデオ編集のデイビット・ダブソンさんに出会ったのは42歳、2年後に結婚した。
 大湾さん夫婦には子どもがおらず養子を迎えた。日本生まれで米軍人家族のカトリックの若夫婦に育てられた女の子だった。家に来て分かったのは、彼女は4年近くも親から完全にネグレクトされていたようだ。
 今まで愛されたことも愛したこともなかった子どもは怒りとストレスがたまっていた。癇癪(かんしゃく)と絶叫でしかコミュニケーションの方法を知らない。そんな彼女を育てる自信がなくて悩んでいた大湾さん。だがそのときの「今この子を手放したら、もっとひどくなる」とのデイビットさんの一言で意を決し、母親に徹し始めた。
 17年間も世界各地を訪れ、それまでやりたいことを全てやってきた大湾さんだったが、それからは24時間子どもに付きっきり。今まで歩んできた過去の経験を全て生かし、偏見も差別もない純粋な「人類愛・人間愛」で彼女を育てた。
 その娘さんはサンタ・バーバラ州立大学(経済と日本語専攻)を卒業し、今はサンノゼにいる。法律関係のデータを集める会社に勤めて、毎日夕方の7時、必ず帰りの電車の駅で電話をかけてくる。
 2010年、子どもが成長したので、長年書きためていた旅行記『幻の旅路』を出版にこぎ着けた。30代でヨーロッパを一人旅した時の7年間の日記風「心のエッセー」である。
 今回の沖縄訪問は大湾さんにとって初めて。亡くなった父の願いも入っている宿願の訪問である。「戦後70年たった今も、基地と隣り合わせで生活し、戦争の傷痕をそのまま背負っている沖縄をしっかり見てきたい」と語った。(当銘貞夫通信員)