【ハワイ】沖縄戦戦没者を追悼 「イレイノヒ」100人出席


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ハワイの「イレイノヒ」に出席する沖縄戦体験者の(右から)上原進助さんと比嘉武二郎さん、大城義信さん、儀間真栄さんら=6月23日、ハワイ沖縄センターのガーデン

 沖縄戦の戦没者を国籍や敵味方の別なく追悼する会「イレイノヒ」がハワイ時間の6月23日、ハワイ沖縄センターのガーデンで開かれた。ハワイ沖縄連合会(HUOA)のメンバーをはじめ、100人以上が集まった。

会には、沖縄戦を体験した比嘉武二郎さん、儀間真栄さん、大城義信さん、上原進助さんら4人を迎え、それぞれが当時の記憶を語った。
 HUOAのマーク比嘉会長は「ことしで戦後70年を迎える。私たちが今日このように集い、戦没者を思うことはとても大切だ」と開会のあいさつをした。
 ハワイ移民後、米軍通訳兵として沖縄戦に配属された比嘉さんは「アメリカ軍が差し出した写真には、焼け野原になった那覇がはっきりと写し出されていてあぜんとした。アメリカ軍が亀甲墓を軍事施設と勘違いし、攻撃をしていることを知った。亀甲墓の説明をして直ちに攻撃を止めさせた」と語った。
 当時12歳で沖縄戦を体験し、現在ハワイで牧師をしている上原さんは「看護婦だと名乗る女性が、『毒薬を手に入れたから、欲しい人は一列に並んで』と呼び掛けてきた。数が限られた毒薬欲しさに、人々は列をつくり私も並んだ。どうか私にも回ってくるようにと祈っていた。しかし私の番の直前で毒薬は切れ、もらうことができなかった」と当時を振り返った。その上で「人生は、自分が願うこととは違う方向に進んだ方がいい場合もある」と締めくくり、会場の参列者は上原さんの話にうなずいていた。
 日没とともに、沖縄のある西の方角に向かい、参列者全員が黙とうを捧げた。最後は、ディレック城間さんによる三線でしんみりと幕を閉じた。
(比嘉具志堅華絵通信員)
英文へ→One hundred attendees at Hawaii “Irei no Hi” memorial ceremony mourn lives lost in Battle of Okinawa