『私たちは塩を減らそう』前田司郎著


社会
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誰より自分が信用ならない
 この人が書く言葉には、何だかよくわからないが説得力がある。強いのではない。尖ってもいない。書かれていることも、突拍子もない。

彼が主宰する劇団「五反田団」の面白さをここで説明しようとしながら、それがとても難しいことに若干呑まれかけているわけだが、それでも言い切ってしまうなら例えば『さようなら僕の小さな名声』(2006年初演)。前田司郎とおぼしき売れない作家(本人が演じている)が、売れない作家の多くが通っているであろう苦悶と客観の旅路の途中で「岸田國士戯曲賞」をなぜか2つもらい、トロフィーともオブジェともつかない物体を両手に持って「2つももらっちゃったよ~」ってにへらにへらしている、それが私の最初の前田体験だ。その「岸田國士戯曲賞」をほんとにとっちゃった『生きてるものはいないのか』(07年初演)は、出てくる人たちが次々どたばたと死んでいくのみの物語で、そこに法則性とかテーマとか「生命って大事だな」的な教訓を見いだそうとするのはナンセンスであることを、観客はたぶん最初の5分で悟る。この「悟る」がポイントなのである。ここから何かを悟ることは虚しい、ということを観客は悟り、その上で、何らかの感慨が彼方から押し寄せてくる。前田作品は、そんなようなものでできている。
 だから今回もそのモードで読み始めた。ふた見開きぐらいで終わっちゃう短編から、80ページに及ぶ中編まで、彼のここ数年の小説たちが彩り豊かに束ねられている。描かれるのは恋愛だったり、生命だったり、運命だったり、様々だ。胸に刺さったのは『嫌な話』。かつて遭遇した交通事故で、人の生き死にに関わってしまった男の自問が綴られていき、そして本当に本当に嫌ーな終わり方をする。ぐうの音も出ない。今回束ねられた作品の中で一番長い『悪い双子』は、一人称と三人称をくるくると使い分けることであらゆるボーダーをかき消さんとする意欲作だ。そしてここが肝要なのだが、どの登場人物も徹底的に「自分」を信用していない。自分の言葉の不確かさを知っているし、自分の記憶のもろさを知っている。それを前提に主人公たちは語り、言葉たちは綴られる。つまりそのスタンスは前田司郎自身のものであり、そんな作家が誠実に綴った言葉が、説得力を持たないわけがないのだ。
 最後には、まぎれもなく前田司郎自身の旅行記が掲載されている。この人は、この人にしか見えない景色を見ている。それをこうして分けてもらえる間は、世界って、そう悪くはないなと思ったりする。
 (キノブックス 1600円+税)=小川志津子
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小川志津子のプロフィル
 おがわ・しづこ 1973年神奈川県出身。フリーライター。第2次ベビーブームのピーク年に生まれ、受験という受験が過酷に行き過ぎ、社会に出たとたんにバブルがはじけ、どんな波にも乗りきれないまま40代に突入。それでも幸せ探しはやめません。
(共同通信)

私たちは塩を減らそう
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