『菜飯屋春秋』魚住陽子著


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言葉よりも豊かなコミュニケーション
 この頃、思うことがある。欲しいものを「欲しい!」とすぐさま言える人と、言えない人とがこの世にはいる。前者はすべてに体当たりしながらすり傷作って生きていく。でも後者は、スタートの掛け声がかかってもなかなか足を前に出すことができない。行く手にあるものが、何であっても。

 ここに出てくる人たちは、どうも後者であるような気がする。長年連れ添った夫と別れ、ごくシンプルだけれど仕事のきいた惣菜を出す「菜飯屋」を営むアラフォーの主人公。みずみずしい若竹煮、新生姜の甘酢漬け、初夏には翡翠色の豆料理がカウンターを彩る。お酒を飲む人も飲まない人も心地よく食を楽しみ、帰っていく。その営みに彼女は満たされているのだけれど、でもその一方で、かつてこっぴどく別れた夫や、ひそかに思いを寄せる男の、一挙手一投足が彼女の脳裏に絡みついて離れない。それらの記憶が何の予告もなく湧き上がってきて、彼女はそのたびに立ち止まる。無くしたもの、去っていったものへの追憶。それらを切り捨てるでもしがみつくでもない独特の距離感で、彼女は生きている。
 そんなふうだから彼女は何かを強く求めるということをしない。強いて挙げるなら、精神的にいっぱいいっぱいだった時に現れた男の前で大泣きしたくらいである。そうやって始まった恋も、ひと夏で淡く消える。けれど彼女の体内時計は、食材が運んでくる季節感によって絶え間なく動いている。通り過ぎるお客たちを、彼女はカウンターの中から眺め、出した料理で一瞬つながり、次の約束もないまま送り出す。そんなふうにして付かず離れずだった客の1人の過酷な境遇を知って、彼女はただ、弁当を作る。そのコミュニケーションの豊かさといったら。言葉ではなく、ただ、寄り添いたい。私にできる方法で。そんな思いが込められた弁当が、ありがたくないはずがない。
 そして彼女自身も、ひと回り年上の親友に支えられている。一生共にいる保証なんてまるでないけれど、「あたしはひとりで生きていくの!」的な強がりは、人生においてまるで通用しないのだということを知り尽くした2人である。その、距離感。絶妙すぎてうらやましいったらないのだ。
 (駒草出版 2000円+税)=小川志津子
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小川志津子のプロフィル
 おがわ・しづこ 1973年神奈川県出身。フリーライター。第2次ベビーブームのピーク年に生まれ、受験という受験が過酷に行き過ぎ、社会に出たとたんにバブルがはじけ、どんな波にも乗りきれないまま40代に突入。それでも幸せ探しはやめません。
(共同通信)

菜飯屋春秋
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