『断片的なものの社会学』岸政彦著


社会
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かけがえのない無意味さ
 冒頭、印象的なエピソードが紹介される。
 社会学者の著者が沖縄で、ある男性への聞き取り調査中のことだった。庭にいる息子が叫んだ。「父さん、犬が死んでるよ」。男性は数秒沈黙した後、中断した語りを再開した。「え、いいんですか?」「いやいや、いいんです、大丈夫」。犬のことは報告書にも論文にも当然、記録されない。しかし十年以上経た今も、著者に鮮烈な印象を残している。

 本書にはそんな無意味にも思える出来事、分析や解釈からこぼれ落ちる体験談が無秩序に並んでいる。路上のギター弾きや元風俗嬢など、どちらかといえば社会の底辺で生きる人たちがよく登場するが、テーマもスタイルも長さもバラバラ。若いころの思い出話もあれば、ブログの見聞記、インタビュー記録もある。
 それら明快な輪郭を成さない挿話群は、しかしとっておきの宝物のように差し出される。多くはなんのコメントも付けられずに。私たちはそこから不思議な面白み、奇妙なリアリティー、そして何か痛切な美しさのようなものを受け取る。
 私たちの人生は日常に転がる無意味な断片の集積からなる。確かに断片に過ぎないが、同時にそれらは他には代え難い唯一無二の出来事、一般化できない固有の経験でもある。そのことを私たちはどこかで知っているからこそ、著者の言う「かけがえのない無意味さ」にいとおしさを覚えるのだと思う。
 時々挟まれる、階段の踊り場や団地前の原っぱを写したモノクロ写真がとてもいい。
 (朝日出版社 1560円+税)=片岡義博
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片岡義博のプロフィル
 かたおか・よしひろ 1962年生まれ。山口県出身。共同通信記者を経て2007年フリーに。記者時代は演劇、論壇などを担当。2009年末から本欄担当に。東京都小平市在住。
(共同通信)

断片的なものの社会学
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