『フォト・ストーリー 沖縄の70年』 「沖縄人」前面に書き綴る


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『フォト・ストーリー 沖縄の70年』石川文洋著 岩波書店・1020円+税

 首里の祖父の実家に並ぶ「の」まんじゅうを記憶の底に抱いている石川文洋少年が沖縄芝居の脚本家である父親の石川文一と上京したのは4歳。1942年、太平洋戦争が始まって間もなくであった。空襲を本土で経験しながらも著者が再び生まり島の沖縄を訪れたのは57年である。19歳になっていた。

著者は「本土育ちなのにどうして沖縄人意識が強いのか。理屈ではなく感情的なものなので、自分でもよく分からない」と本書で記している。
 24歳で香港、そしてベトナム戦争従軍取材カメラマンとして報道一筋に生きて来た石川文洋が著した書は優に20冊余。その文体は爆弾のさく裂音の下で生き抜いてきたからか、平易で短いセンテンスで一貫している。それは、戦争と平和を写し出す印画紙をたくさんの人々に見てほしいという願いと通底する。それでも「沖縄人」をストレートに出した著書はなかった。しかし、本書は著者自ら「琉球人・沖縄人の先祖たち、今生きる人々の怒りと共鳴しながら、在日沖縄人として書き綴って」いる。
 50年余の写真ジャーナリストとして出会ったおよそ40名余が本書に登場している。第1章では著者がこれまであまり触れてこなかった石川ファミリーの話。石川少年の「ミンタマーでガッパヤーでハナダヤー」には、読者の心を温かくしてくれる。この少年も本土の国民学校では「オキナワ」のあだ名で呼ばれていたと言う。第2章の沖縄戦の記憶には、平良啓子さん、宮城初江さんら10名余の生き残った人々の証言を取材当時のスナップ写真とともに掲載し、天皇制と皇民化教育が4分の1の沖縄人が死亡した事実を突きつける。第3章では、南洋群島の沖縄人を取材している。54年目のサイパンでの慰霊祭に参加した石川静子さんが著者に「妹と弟は母の手によって死にました」と初めて語るのだが、そこには著者と被写体との信頼がいかに厚いかがよく表れている。6章までに190余の写真で構成された本書は若い読者を待っている。そして著者はこう言い切る。もし新基地が建設されたら私は「安倍・仲井真基地」と呼びます、と。(今郁義・批評家)
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 いしかわ・ぶんよう 1938年、那覇市首里生まれ。59~62年、毎日映画社。64年、香港のスタジオ勤務。65年1月~68年12月、ベトナムに滞在。アメリカ軍、サイゴン政府軍に同行取材。帰国後、朝日新聞出版局のカメラマンとなる。84年からフリーのカメラマン。

フォト・ストーリー 沖縄の70年 (岩波新書)
石川 文洋
岩波書店
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