『海を読み、魚を語る』 糸満伝統漁法の喪失危惧


社会
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『海を読み、魚を語る』三田牧著 コモンズ・3500円+税

 本書は著者が大学院生として1996年から1年6カ月にわたり沖縄本島糸満の調査を行い、のち博士論文として提出され、さらに補足調査を行った海の民族誌である。
 2010年、再び糸満を訪れた著者は、埋め立てを完成した、旧市街の見る影もない変貌にがくぜんとする。糸満が歴史的に蓄積してきた「伝統」という経験が「日の当たらない場所」に追いやられている。

著者が海人や魚売りのアンマーたちから学んだ海の文化は1990年代、どのように変容したのかが本書の主軸に置かれている。
 海や魚を「読む」知識に視座を据えた著者は、漁にたけた一人の海人に出会う。上原佑強さんである。「海を読む知識を巧みに言語化し、筆者に伝えてくれた人」との出会いは、幸運であった。
 糸満のアンブシ(建干網漁)とパンタタカー(小規模な追い込み網漁)を家業とする漁家の三男として生まれた佑強さんは、2008年に亡くなり、糸満漁業は重要な伝達者を失った。私も佑強さん、兄の上原晧吉さん、姉の上原サトさんに言語化した「海を習った」ひとりである。
 「海人は、まず朝起きたら浜で天気を見て、風を読み、風と潮の関係から漁場を選ぶ。それから、狙いの魚を決めるんだ」。端的で確信に満ちた佑強さんの言葉は伝統漁法の神髄を突く。
 著者はその言葉から「漁場を読む」「風を読む」「潮を読む」と三つの分析基準を定め検証する。
 底延縄漁を営む佑強さんは、時代を経て魚群探知機やGPSという新システム導入にも揺らぐことはなかった。知識をプラスして独自の探知方法を生み出し、魚を根こそぎとる新機器GPSを必要としなかった。しかし一方で技術の進歩は漁労を容易にし、漁場の乱獲という危機を招いた。
 培われてきた生活文化が、今や顧みられなくなっている変化は人びとのアイデンティティーをも危うくすると著者は危惧する。そして「糸満だけが持っている経験の束を、記憶を、手放さないでほしい」と結ぶ。
 (加藤久子・法政大学沖縄文化研究所国内研究員)
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 みた・まき 1972年、兵庫県に生まれ。95年、京都大学教育学部卒、97年、京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程入学、2002年に同課程所定の研究指導認定退学。博士(人間・環境学)。神戸学院大学准教授。

海を読み、魚を語る: 沖縄県糸満における海の記憶の民族誌
三田 牧
コモンズ
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