仲宗根悟さん死去 88歳 復帰運動をけん引


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仲宗根 悟さん

 沖縄の日本復帰運動をけん引した仲宗根悟(なかそね・さとる)さんが25日午後5時25分、内臓機能低下のため沖縄市の自宅で死去した。88歳。旧美里村(現沖縄市)出身。告別式は28日午後3時から4時、沖縄市倉敷111の5、沖縄葬斎場(鳳凰)で。喪主は妻佐代子さん。

 仲宗根さんは1966年から75年まで、県祖国復帰協議会(復帰協)の事務局長として復帰運動の先頭に立ち、運動の象徴となった辺戸岬沖での4・28海上集会などを通して全国に沖縄の復帰を呼び掛けた。沖縄青年連合会(沖青連)の幹事や県青年団協議会の副会長も担った。
 復帰後は社会党県本の書記長を務めた。辺戸岬の祖国復帰闘争碑の碑文は、仲宗根さんの揮毫(きごう)。
 仲宗根さんが在籍した沖青連は51年、沖縄の行く末を県民に問う世論調査を実施した。回答の84%が「祖国復帰」を求めていることを明らかにし、その後の日本復帰に向けた流れを作った。
 60年の復帰協設立後は、64年に東京で沖縄問題を訴える大会を開いたほか、65年には沖縄に憲法の適用を求める訴訟を東京地裁で起こした。
英文へ→Leader of movement for Okinawa’s reversion to Japan passes away