『宮良政貴詩集 八重山夜曲』 表現への飽くなき意欲


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『宮良政貴詩集 八重山夜曲』宮良政貴著 沖縄自分史センター・2000円+税

 去る6月28日、八重山音楽協会の主催により「よみがえれ! ふるさとの歌」と題してコンサートが行われた。敗戦から日本復帰の頃までの約30年間に、八重山で作詞作曲された百曲以上の中から三十数曲が演奏されたのである。

 実は宮良さんの今度の詩集「八重山夜曲」はこの演奏会の資料発掘作業の結晶の一つとして実現した。その経緯は本書に収録されたジャーナリスト・三木健氏、また宮良政貴さんのご長男・薫氏のそれぞれの文章、「よみがえる詩人・宮良政貴」、「五十一年目の誕生」に詳しい。
 さて、この詩集の第一の特徴は、詩人・宮良政貴の表現への飽くなき意欲である。幼い頃から家族を離れ、また沖縄戦においては米軍の捕虜となり、ハワイへ送られ、沖縄本島、石垣島、与那国島、また石垣、那覇への移動というような慌ただしい生活の中で、この一瞬が勝負だとばかりにわずかの機会を見つけて詩をつづっている。それは「家庭詩」や「生活詩」「社会詩」、さらには「政治詩」など多岐にわたっているが、それらの題材を追い続けていって、ある時、自らの描写を超えたある幻影が詩人を訪れるのである。
 「骨になった私」。いつの間にか肉という肉がすべて抜け落ち骨ばかりとなった私は、太陽が二つ狂めき合いながら沈んでいく赤い海辺に取り残されている。やがて自分の肋骨(ろっこつ)の一つ一つに蒼(あお)白い小さな星が歩き始める(夜光微生物なのだろう)。その私の骨の間を夜通し潮騒が吹き抜けるのである。
 このようなヴィジョンが一度でも訪れてくれた詩人は幸いである。これこそが、詩が人生においてなすべきことなのだ。宮良さんもまたその一人なのであった。
(八重洋一郎・詩人)
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 みやら・せいき 1907年10月4日、石垣町(当時)字大川生まれ。33年に県土木課に採用される。石垣市出身の我那覇米と結婚。43年4月に軍隊に召集され、終戦後は与那国に渡り文化活動に励んだ。後、石垣島で生活。50年に八重山群島政府、54年に本島の琉球政府で勤務。64年に他界。享年58。