『冥途あり』長野まゆみ著


社会
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人生の断片が川となり押し寄せる
 つづられるのは、人生の断片のようにみえる。父から聞いたこと、母から聞いたこと、叔父叔母から聞いたこと。そしてここにつづられているものの多くは著者の見たことのない、家族がかつて見た(であろう)風景である。

 例えば父の好物の菓子から、芋づる式に引き出される思い出があり、父の通夜での親戚たちの世間話を経て、父が味わった(であろう)思いが広がってゆく。それらを、時系列に並べ替えるでも、父を主人公にした物語に織りなおすでもなく、断片を断片のまま、パズルのように著者は並べる。父母の話が祖父の話につながり、やがて誰も面識がなかった謎の女の存在に触れ、やがて父が詳しくは語ろうとしなかった広島での被爆体験と、著者が冷蔵庫から出してきたコンビニのカステラとが、ここでは等しく並んでいる。
 思えば人生ってそんなふうである。20年前にはやっていたとされるヒット曲を聞いて、えっ待って20年??と息が止まるような思いがすることが少なくない。20年前のことも5年前のことも、たぶん脳内では、同列なのだ。とりたてて前進することなく、あれもこれもついこの間のことだと思っているうちに、人生は終わってしまうのではないかと心配になる。
 閑話休題。前進していようがいまいが、一人の大人が、親を送るとなった時。去りゆく(消えゆく)親たちと流れゆく時間を、何とかここに押しとどめたいと思った時。書き手にはこの方法が許されているのだ。
 つまり、その人の人生を記録するということ。自分が見聞きし、実感した順番で。そうすることで、書き手は亡き者と再会する。実際には見られなかった景色を見て、実際には会っていない、若かりし頃の親たちに出会う。もちろん、幼かった自分自身にも。
 そして、著者がここまで書き記してきたことの真意が、ラスト1行で知れる。あの日被爆した父が逝く、そのことの意味が。人が逝くことで失われるのは、その人の寿命時間だけではない。その人が経てきた時代、出くわした出来事、そこを行き交った人々のすべて、つまり、その人の世界がまるごとひとつ、失われるに等しいのである。
 (講談社 1500円+税)=小川志津子
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小川志津子のプロフィル
 おがわ・しづこ 1973年神奈川県出身。フリーライター。第2次ベビーブームのピーク年に生まれ、受験という受験が過酷に行き過ぎ、社会に出たとたんにバブルがはじけ、どんな波にも乗りきれないまま40代に突入。それでも幸せ探しはやめません。
(共同通信)

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