『スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』三宅隆太著


社会
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脚本が描くのは人である
 脚本書きとは、こんなにも心理戦なのである。映画監督としてのキャリアがあり、大学や映画学校で脚本の講師を務め、暗礁に乗り上げた映画のプロジェクトチームに請われて分析治療する「スプリクトドクター」でもある著者が、満を持してこれまでの道のりを一冊に編み上げた。分厚っ! まずその重さにのけぞる。そしてぱらぱらとめくる。……本気だぞ三宅隆太は。たぶんみんながそう思う。

 彼は人気ラジオ番組でも若いリスナーに知られており、彼の授業を受けたくて出会いたくてたまらずにいる脚本家志望者が日本中にわんさかいる。けれど物理的にそのすべてと向き合うことはできない。そこでそのひとりひとりの手に彼は、どすんと、この一冊を届けようとしている。これは「著書」というより「対峙」なのである。
 まったくもって脚本家志望ではない私が無謀にも読み始める。じきに「ん?」と思う。書かれているのはどうも「脚本家志望の人」にのみ宛てられたものではないからだ。たとえば序盤、彼はこう語る。脚本書きに肝要なのは「ないものねだり」ではなく、自分の中に「あるもの探し」であると。人生の武器はテクニックではなく「あなたがあなたであること」なのだと。そしてそれらの実感が、これまで接してきたたくさんの生徒との対話の蓄積からきていることがよくわかる。そしてそれこそが三宅自身の糧になっていることも。
 本の後半では「スクリプトドクター」という聞き慣れない仕事への取り組み方が詳しく記されている。その根っこには、著者が学んだ心理カウンセリングや認知行動療法がはっきりと功を奏しているのがわかる。だって、脚本家は人を書く仕事だ。人を書くのだから、人の心を読み解くというのは、考えてみれば当然のプロセスなのである。
 そして三宅が読者を連れて行きたいのは、晴れやかな自由の地だ。君の足かせになっているのは講師やクライアントのダメ出しではなく、君自身の思考グセなのだと。
 脚本家も、そうでない人も、心をまるごと使ってその道を歩いている。そんなすべての人たちへの、これはエールの一冊である。
 (新書館 2000円+税)=小川志津子
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小川志津子のプロフィル
 おがわ・しづこ 1973年神奈川県出身。フリーライター。第2次ベビーブームのピーク年に生まれ、受験という受験が過酷に行き過ぎ、社会に出たとたんにバブルがはじけ、どんな波にも乗りきれないまま40代に突入。それでも幸せ探しはやめません。
(共同通信)

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