『奇縁七景』乾ルカ著 終わる。けれど生きる。


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 唸らされるばかりである。見慣れた慣用句をタイトルに掲げ、そこから連想された物語たちがここには7編、束ねられている。その「連想」の飛びっぷりがすごい。
 例えば「虫が好かない」は食物に多少の芋虫がついていてもおかまいなしの超自然派食育施設で困窮する少年少女の物語。「黒い瞳(め)の内」は瞳の中をのぞきこむとそこに男の姿が浮かび上がる不思議な女とその伴侶の物語。「岡目八目」は、自分の葬式に集まった親戚たちの会話を棺の中から盗み聞きして、浮かび上がった謎の真相に誰より先に気づいてしまう女の物語。

 著者は「慣用句を短編小説にする」という企画性だけには甘んじず、読者を引き込む、という点に心を注いでいるのがわかる。すべての登場人物が、何だかどこかで会ったような、あるいはいつかの自分自身みたいな、そんな立体感で紙の上から立ち上がる。そして彼らが巻き込まれる事件や事態もまた、彼らの切実な人生の片鱗なのだとわかる。
 偏食の少年少女にとって芋虫は、生死を分かつ大問題だし、「報いの一矢」で占い師からどん底人生を予言された就活生は、占いなど信じなかったはずなのに、その日からごろんごろんと転落していく。アタシがいなかったら夫も子供も何もできないんだからまったくもう、と思っていたけど、いざ家出してみたら夫も息子もわりとそこそこやれてしまった「目に入れても」など、自分や母の人生を思い、身につまされるものがある。
 しかしやはり胸に残るのは最後の2編、「黒い瞳の内」と「岡目八目」なのである。前者では恋とも呼べないくらいの淡い思いから「死がふたりを分かつまで」をぐんぐんと描き、後者は「分かたれたその後」を暗示させる連作だ。何だかもう慣用句うんぬんの企画性を忘れて読み入る。そして思うのだ。
 どの登場人物も、自分の意志ではどうにもならないものにのみ込まれながら生きている。無力な彼ら彼女らは、けれどその中で幸せを求めてあがく。考えてみれば私たち読み手の日常も、たぶんみんな、そんなふうである。自分の意志ではどうにもならないものによって、この人生はいつか終わるのだとわかっているのに、生きる。食べる。愛する。そのさまが、妙に胸に刺さる1冊なのである。
 (光文社 1500円+税)=小川志津子
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小川志津子のプロフィル
 おがわ・しづこ 1973年神奈川県出身。フリーライター。第2次ベビーブームのピーク年に生まれ、受験という受験が過酷に行き過ぎ、社会に出たとたんにバブルがはじけ、どんな波にも乗りきれないまま40代に突入。それでも幸せ探しはやめません。
(共同通信)

奇縁七景
奇縁七景

posted with amazlet at 15.08.31
乾 ルカ
光文社
売り上げランキング: 37,125
小川志津子