『歌集 七歳の夏』 弱き者に添う肝苦さの歌


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『歌集 七歳の夏』池原初子著 ながらみ書房・2500円+税

七歳の夏―歌集

 畏敬する池原初子さんが待望の歌集『七歳の夏』を出版した。メルヘン風のすてきなタイトルは人々に幼年の日の懐かしくも楽しい日々を想起させるのかもしれない。だが、池原さんにとって、「七歳の夏」は地獄の記憶として焼き付いている。メルヘンの世界が惨劇を孕(はら)む。

 《焼き出され着の身着のまま逃げ惑ひ捕虜となりしは七歳の夏》
 「米軍の上陸で、あの悲惨な沖縄地上戦が始まった。着の身着のままで山中を逃げ惑い捕虜となって、どうにか生き延びたが、戦後は更に米軍の支配下の圧政に苦しめられた」(あとがき)
 この戦中戦後の地獄の記憶は、多くの県民の記憶と体に染みついている。歌集には戦争・基地が多く詠まれている。
 《両足を切断されし戦場の母は乳飲み子抱きて息絶ゆ》
 《脇腹を砲弾に抉られ負傷せし父は「生きよ」と子ら励ましき》
 《累累と続く死体を踏み分けてさまよひし孤児の戦場の記憶》
 だが、多くの本土人にとってこのような歌や戦争体験談は類型的で退屈なことであるらしい。
 《沖縄戦ひめゆり学徒の証言を退屈と聞きし大和の教師》
 だが、そうであればこそ、これからも沖縄の歌人は基地・戦争を詠み続けるのである。
 ことしは戦後70年の節目。立ち止まって来し方を振り返った時、次のような歌は私の世代にも十分共有できる体験である。
 《飲み水を缶で運びし子供らの肩に食ひ込む天秤の棒》
 《夕されば家に明かりを点さむと子らはランプの火屋(ほや)を磨きし》
 戦争を潜り、生きることの辛酸を嘗(な)め尽くしてきたからであろうか、弱き者に視点を寄せた歌が目立つ。肝苦(ちむぐり)さの感覚で詠む歌だ。
 《仏葬華ひつそりと咲く岩陰に香焚く媼の長き祈りは》
 《ホームレスの吹き溜まりとふ公園の橋の袂に並ぶテントは》
 《貧農の村の住民置き去りに開会されしスポーツの祭典》
 後ろの歌は、「貧農」を「福島」に置き換えれば、この国の貧しい政治の現在である。歌集には《すこやかに古稀を迎へし夫と居て酌み交はす屠蘇の深き味はひ》などの心なごむ歌も多いが、紙幅も尽きた。巻末に添えられた紅短歌会代表玉城洋子の丁寧な跋文(ばつぶん)が読みを深めてくれる。(平敷武蕉・文芸評論家)
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 いけはら・はつこ 1937年、本部町生まれ。65年、昭和女子大卒業後、那覇商業高校定時制に教員として採用され、沖縄高校、沖縄工業高校などで教える。2003年、紅短歌会に入会。08年、日本歌人クラブ入会。