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『厭世マニュアル』阿川せんり著 熟成された鬱屈の彼方へ

 いつの世も試練というやつは、善人面してやってくる。「君のためを思ってさ」「あなたの今後を心配してるのよ?」。そんなふうだから是が非でも応えなきゃいけない気がしてくる。自分にできないあれやこれやを、できるようにならなきゃいけないのだと。逆上がりができないのならできるように、泳げないなら泳げるようにならなきゃいけない。

子供の頃からプログラミングされた「できるようにならなきゃいけない」は、言っちゃえばつまり妖怪である。
 そう、「試練」の顔した妖怪は隙あらば耳元に居座って、「こんなこともできないお前はダメだ」とエンドレスでささやいてくる。言っておくが40を過ぎてもそうである。骨の髄まで文系で、運動部経験まるでゼロの私が、何を血迷ったか運送会社の荷物仕分けのバイトに就いたのは今年の初めのことだ。自分の人生がくすぶっているのはあらゆる経験値が低いからだと思った。やったことないことをしなきゃいけないと思った。1回で腰が悲鳴を上げたけれど。
 本作の主人公はまだ20代である。いつだってマスクをしている。そして彼女の周囲の人たちも、善人面した妖怪だらけである。マスクを取って人と話せるようになら「なきゃいけない」、危機状態にある友人を助けに行か「なきゃいけない」、打ち込める何かを持た「なきゃいけない」。他者たちは、主人公を勝手にいたわり、勝手に見下げ、勝手に怒り散らして、でも立ち去らない。これがやっかい。主人公はマスクの下で、ありとあらゆるつぶやきを飲み込んで暮らす。
 「貯めこむ」→「吐き出す」→「明日へ」。多くの物語がそうであるように、この本もその流れを行く。しかし他と一線を画するのは、マスクの中に込めている分、鬱屈が「練り上げられている」ことだ。たくさんの人の言葉を暴力的に浴びせかけられながら(時にはマスクそのものからもそのような言葉が聞こえてきながら)、主人公の自意識は漠然とした鬱屈ではなく、輪郭のはっきりした塊となって炸裂する。すべての善意は受け取らなきゃいけないなどと誰が決めたのかと。あなたたちの善意は暴力なのだと。
 ラスト、主人公が、仲良くなった中学生の少女に、ある言葉を贈る。それと同じ言葉を、40歳の私からも主人公に贈りたいと思った。
 (角川書店 1400円+税)=小川志津子
(共同通信)
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小川志津子のプロフィル
 おがわ・しづこ 1973年神奈川県出身。フリーライター。第2次ベビーブームのピーク年に生まれ、受験という受験が過酷に行き過ぎ、社会に出たとたんにバブルがはじけ、どんな波にも乗りきれないまま40代に突入。それでも幸せ探しはやめません。

厭世マニュアル
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小川志津子