『あなたの空洞』伊藤たかみ著 真に「弔う」ということ


社会
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小川志津子

 本書に収められている4本の短編にはどれも、東日本大震災の影がよぎる。けれど物語の軸足はそこではなく、登場人物たちの、ごく他愛無い、けれど切実な、迷いとか惑いとかそういったものが丁寧に描かれている。

 前半の2作において、主人公たちにとりたてて劇的な変化は訪れない。『ふらいじん』では、止まってしまった電車の中で、飲みに行く途中の旧友たちが交わす会話が描かれる。あの日、あれ以降、自分の中にどうしようもなく生まれてしまった世界とのズレ。違和感。ふわふわ感。わかりあえると思っていた旧友たちと、その感覚を共有できたのかどうなのかもふわふわしたまま、それでも「fly – 人」たちは滑空することなどできずに、電車を降りて自分たちの足で歩き出す。
 『僕らの排卵日』は主人公の親友が、妻の排卵日を理由に飲み会を辞するところから始まる。彼は北京への転勤が決まっていて、赴任する前にどうしても授かりたいのだという。それに対する主人公の大きな違和感。けれど彼も彼で悩みを持つ身。愛する人との関係に、不穏な気配が漂いつつある。
 読後感がグイと変わるのは3作目の『母を砕く日』だ。愛する妻の死を実感することができず、心の時計を止めたまま暮らしている75歳の父親。息子と娘の危惧を理解しながら、それでも彼は胸に決めている。妻の骨を粉砕して、海に撒いてやることを。
 書き下ろしの表題作『あなたの空洞』は、子宮を患った妻を持つ男の物語だ。全摘出、の3文字について、しかし夫婦はなかなか正面から語り合うことができない。いや、夫の心は決まっている。「子宮は諦めて下さい」「好きです」。けれどこの2つのフレーズをつなぐボキャブラリーがなくて、思案する日々だ。
 弔い、という行為を考える。「別れ」でもあり「決着」でもある。生きている人にもそうでない人にも、その節目は必ず訪れる。自分では弔い終えたつもりでも、いや全然弔えてないぞと何年も後に気づいたりする。ていうかすっぱりと「弔う」ことができる人間関係なんて、この世にどれほどあるんだろうと思う。だいたいの人は別れに際して、迷う。惑う。しがみつく者もいる。「人間臭さ」という匂いは、きっとその惑いから立ちのぼるものなのだろうと思うのだ。
 (文芸春秋 1700円+税)=小川志津子
(共同通信)
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小川志津子のプロフィル
 おがわ・しづこ 1973年神奈川県出身。フリーライター。第2次ベビーブームのピーク年に生まれ、受験という受験が過酷に行き過ぎ、社会に出たとたんにバブルがはじけ、どんな波にも乗りきれないまま40代に突入。それでも幸せ探しはやめません。

あなたの空洞
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