【交差点】文化交流


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 沖縄のエイサーが県内はもとより国内さらには海外へと広まりつつある。つまるところ、県出身の行くところに「エイサー」あり、と言っても過言ではない。
 1998年に福州事務所ができたころ、福建省沖縄県人会が活動を開始し、沖縄からの留学生を中心に地元中国人学生も含めた「エイサー」が初めて福州で披露された。
 中心となった沖縄学生は、10数人と少ないメンバーであったが、自らの文化=エイサーを、誇りと愛情で外国人である中国学生に紹介し、その魅力とウチナー魂を彼らに伝えることができたのである。
 結果的には50人ほどの中国学生に感動を与え、一団となったエイサー演舞となったのである。
 たしか、当時、某高級ホテルの敷地内でのエイサー披露を要請したほどであった。
 それほどまでに「エイサー=沖縄文化」となったのか。理屈などなかったような気がする。当時の沖縄留学生たちや県人会の大人たちには、ただただ「エイサーを皆で踊りたい!」「見たい!」「福州という海外で再現したい!」の一心であった。自らの文化を純粋に楽しみ、伝える。そこに他の人(中国学生や住民)が魅せられるのではなかろうか。
 近年、複雑化する社会のなかで、ややもすると文化の交流を商品化し、経済的側面からのみ語られることがある。文化交流が社会の変化とともに経済的要素を多分に含むのは否めないにしても、交流の主体となる自身の立場を明確にしてこそ真の文化交流となろう。
 (仲宗根信明・県産業振興公社福州事務所長)