【交差点】大連の友人


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 友人は大連の高齢者を受け入れている大学の、漢語学院(中国語学科)に在籍している。興味を覚えて取材し、弊社の発行する観光情報雑誌の連載読み物『大連で元気に暮す』に掲載した。
 友人は現在78歳である。大連で17歳まで過ごし、日本に引き揚げた。ご本人の言葉を借りると「老大連(生粋の大連っ子)」である。50歳を目前に一過性脳虚血発作をおこし後遺症が残って、勤務していた航空保安大学校を退官した。故郷の大学に語学留学して8年目を迎えている。
 中国語学習では、すべての科目で高得点を獲得し、終了式には全留学生の前で、優秀留学生称号の栄誉証書と奨学金を授与された。若い美しい学院長から証書を手渡された時は、胸のときめきを覚えた、という。
 毎日曜日午前中は、1926年に建てられた大連天主教会に通いミサに参加している。平和のあいさつをして、参加者は国籍を問わず手を取り合って交歓することもあり、この時がうれしい、とおっしゃる。
 「不治の病は生まれたところに戻れば治る」「故郷とは最後に帰って来たい所」とは、ご本人がテレビの中で聞いたという言葉であり、まさに実践中である。
 その故郷で各種のスポーツや楽器に再挑戦したが、やむなくすべて断念した。かくして中国語の学習が唯一の趣味となり、生まれ故郷で「白寿まで中国語の勉強を続けたい」とおっしゃる。
 ご本人の記事を掲載した雑誌を届けた時も、ソファで私を待ちながら、教科書を開いて勉強中であった。
 (池宮城克子 観光情報雑誌編集者)