【島人の目】仲宗根雅則/「恐怖」の温度差


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 今年の夏、僕の2人の息子は、それぞれイタリア国内とドイツを列車で巡る旅を計画していた。そこにロンドンの同時多発テロが起こった。ヨーロッパ中にテロへの危機感が一気にみなぎった。イタリア人の妻は息子2人に旅行計画の撤回を求め、もちろん僕も賛同した。子供たちも危険をひしひしと感じていて、親の要請をすんなりと受け入れてくれた。
 そんな折、東京に住んでいる学生時代の友人から連絡が入った。悪友3人でポルトガル旅行をし、その帰りにリスボンからミラノまで列車の旅をして僕に会いに来るというのである。僕は時期が時期だからあぜんとした。よりによってテロの恐怖が最も大きい鉄道の旅をしたいというのだ。飛行機ならまだ少しは安全な気がする。アメリカの9・11同時多発テロ以来、徹底したテロ対策がなされているのが分かるからだ。
 友人らがのんきに構えているのは、日本にいるとヨーロッパの緊張感が伝わらず日本国内でテロが起こることへの現実感も薄いからなのだろう。でも日本は、イギリスやイタリアなどがイラクに軍隊を送っているのと同様に自衛隊を派遣している。標的にされる危険は高い。
 頭では分かっていても実感がわかないというのが本音なのだろうとも思う。友人は皆、それなりに社会的に認められ世の中のことも少しは見知っている男たちである。その彼らにしても今日本に迫っているかもしれないテロの恐怖を実感できないでいる。
 日本と欧米諸国との間にあるこの温度差とはいったい何なのだろうとよく考える。日本というのは実際のところ浮世離れした幸せな国なのだろうか、それともただ世間知らずなだけの危うい国なのだろうか。
 (イタリア在住、TVディレクター)