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地域の歴史、文化 後世に 恩納村史編さんに取り組む幸喜邦恵さん(恩納村) 方言調査、早く聞き取りを <インタビュー 人あそぶ街つくる>97


地域の歴史、文化 後世に 恩納村史編さんに取り組む幸喜邦恵さん(恩納村) 方言調査、早く聞き取りを <インタビュー 人あそぶ街つくる>97 恩納村史言語編・歴史編を担当する恩納村史編さん係の幸喜邦恵さん=19日、恩納村博物館
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

地域の歴史、文化、伝統などを後世に残すため、恩納村史編さん係として勤務する幸喜邦恵さん(49)。伝統行事の見学をしたり、方言話者の聞き取り調査に同行したりして、地域の歴史をひもといている。大学進学を機に沖縄に住み始めてから今年で約30年になり、「今では実家のある熊本よりも沖縄のことの方が詳しいかもしれない」と笑顔を見せる。
―村史編さん係になったきっかけは。
「1994年に名桜大学に入学した。当時は沖縄の歴史について学ぶ学科ではなかったが、『沖縄にいるのに、沖縄のことを全然知らないな』と感じることがあった。名桜にいた頃は、地域の行事に呼ばれて行ったり、大学の先生に教えてもらった名護博物館のアルバイトをしたりしていて、その中で、学芸員の方が地域の人に話を聞いているのを見て、自分もこういう仕事がしたいと思った。2008年に新たに恩納村史を作る際に、声をかけてもらい、恩納村史編さん係(当時は恩納村誌編さん室)に入った」
―なぜ、沖縄で。
「小学5年生の頃に子どもだけのツアーか何かに参加して、本部町に5日間ほど滞在した。その時に、グループワークで『シーサー』とか『ヒンプン』って何かなと地域の人に聞き取りして、調べて発表したことがあってとても楽しかった。その時の思い出がすごく印象に残っていたからなのかなと思う」
―仕事の魅力は。
「新しい発見があった時にはすごくテンションが上がりますね。例えば、恩納村の喜瀬武原は首里から来た士族らによって形成された屋取(やーどぅい)集落で、村内では比較的新しくできた集落ですが、数年前に拝所ができたんですよ。もともとは年中行事や区で拝むような行事もなかったと思うんですけど、このような新しい文化の起こりみたいなことを目の前で確認できるのは楽しいですね」
―歴史を残していく上で、当時を知る人は減少していると思うが、課題は。
「特に今担当している言語編では、方言の話者が少なくなってきている。聞き取り調査をしている途中で亡くなってしまったり、そもそも話者がいない地域があったりと厳しい状況だ。恩納村は南北に長く、南と北で方言が全然違うこともあるので、調査も難しい。求められているのはスピードだと思う。子どもの頃は方言を使っていたけど、大人になって使わなくなったという人も聞いたら思い出したりすることもあるので、できる限り早く聞き取りすることが必要だと思う」
―今後、何に取り組みたいか。
「まずはまだ発刊されていない、恩納村史の言語編と歴史編を形にするということが一番の宿題だと思う。後は、これまでに集めてきた資料を何とかして地域の人に還元できないかと考えている。村史として本にする以上、資料の全てを本に詰め込むことはできないけど、漏れた資料も残さないといけない大事な宝。地域の人が気軽に立ち寄って調べ物したり、雑談したりできるような環境がつくれると一番だ」 (金城大樹)

こうき・くにえ 1974年生まれ、熊本県出身。94年に名護市の名桜大学に進学。その後、沖縄国際大学大学院地域文化研究科南島文化専攻に進学し、民俗学を学ぶ。八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館で学芸員として務め、2008年から恩納村史編さん係(当時は恩納村誌編さん室)で勤務。これまでに恩納村史考古編などの発刊に携わる。現在は、恩納村史言語編と歴史編を担当している。