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著名な米国のユダヤ人音楽家たち 日本に大きな影響 鈴木 多美子


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 クラシック音楽の世界は、ユダヤ人音楽家抜きには成立しないと言われる。ナチス・ドイツが台頭しヨーロッパやロシアから多くのユダヤ人が米国へ逃げて来た。その結果、アメリカの文化度が高められたと言っても過言ではない。日本がクラシック音楽大国となったのは、ユダヤ系の音楽家たちの多大な貢献があったからだと言われている。
 「鍵盤の王者」と称されるピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインはポーランド生まれのユダヤ人。人間性あふれる演奏は多くの人を魅了した。
 孤高の天才ピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツは、ウクライナのキエフ出身。超絶技巧でパワフルな演奏で「鍵盤の魔術師」と言われている。
 指揮者兼作曲家には、ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」を作曲した指揮者、ウクライナ系ユダヤ人のレナード・バーンスタインがいる。指揮台でジャンプするなど情熱的な指揮がスター性を備え、彼のカリスマ性はファンを魅了した。弟子には小澤征爾氏や佐渡裕氏などがいる。広島平和コンサートを開催するなど平和思想家だった。1990年から開催された札幌音楽祭は、バーンスタインの精神が守り続けられている。
 バイオリン奏者で指揮者のユーディ・メニューインはリトアニア系のユダヤ人で、神童と言われ7歳でサンフランシスコ交響楽団と共演し初舞台を踏んだ。妹2人もピアニストで共演している。真珠湾攻撃の恨みがあり日本に反感を持っていた。日本滞在中に感情が変化して大の親日家になり、皇室と親交を持ち、皇后のピアノ演奏でバイオリンを披露した。
 米国第2の国歌と言われる「ゴッド・ブレス・アメリカ」はベラルーシ生まれのアーヴィング・バーリンの作詞作曲。敬虔(けいけん)なユダヤ教徒だった父親がアメリカ移住後に亡くなり、バーリンは幼き頃から新聞配達や靴磨きをして家計を助けた。カフェのウエーターと歌手を兼任しながら独学で作詞作曲を学んだ。1942年作の「ホワイト・クリスマス」は世界的に大ヒットし、アカデミー歌曲賞を受賞している。バーリンは正式に音楽教育を受けたことはなく、楽譜の読み書きもできなかったが多くのポピュラーソングを残した。
 ビリー・ジョエル、ポール・サイモン、ボブ・ディラン、バリー・マニロウなどの楽曲は、まさに我が青春のメロディー。ロックでは「KISS」のジーン・シモンズ、そして元「メガデス」のマーティ・フリードマンもユダヤ人で、日本語が達者の親日家である。クラリネット奏者、ベニー・グッドマンはロシア系ユダヤ人でスイングジャズの代表格。有名な「シング・シング・シング」はスタンダードナンバーの一つである。以上の音楽家たちは日本に大きな影響を与え多くのファンがいる。
 (バージニア通信員)