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信念貫き 国際社会に影響 ユダヤ系アメリカ人のノーベル賞受賞者 鈴木 多美子


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 1901年から2022年までの、ユダヤ系アメリカ人の科学賞のノーベル賞受賞者を数えてみると、生理学、医学賞受賞者は38人、化学賞は20人、物理学賞は36人いた。
 1907年、アメリカ人初のノーベル賞受賞者は、ポーランド出身のユダヤ人だった。その名はアルバート・マイケルソンで、海軍兵学校で光学を学び光速の値の精密測定に貢献し物理学賞を受賞した。
 ウクライナ出身のユダヤ人、セルマン・ワクスマンは、微生物の研究者で結核の治療薬となる放射菌の一種「ストレプトマイシン」を土の中の微生物から見つけ、20以上の抗生物質を発見して生理学医学賞のノーベル賞を受賞した。
 遺伝学者のハーマン・マラーは、ショウジョウバエの実験でエックス線照射による突然変異が起こるメカニズムを発見した。医師にエックス線を無節操に使わないよう警告し医者と対立した。さらに人種や階級差別を助長する米国の優生学運動を批判した。マラーは米国社会に失望し社会主義へ傾倒。1934年、ソ連へ移住し遺伝の研究を続けたが、スターリンの警察国家によって進化についての遺伝学が攻撃される結果となり、研究仲間が粛清された。マラーは、アメリカへ戻り難を逃れた。運よくインディアナ大学で教授職に就き翌年、突然変異を誘発する研究でノーベル賞生理学医学賞を受賞した。
 量子化学者ロアルド・ホフマンは、化学的反応過程の理論的研究で1981年にノーベル化学賞を受賞している。詩人、劇作家としても知られている。ウクライナに生まれたホフマンは、1941年に労働収容所に送られた。父親の機知で無事脱出するも父親は殺されてしまう。彼は母親と叔父、叔母らと共にウクライナ人一家にかくまわれ、屋根裏部屋で1年3カ月の間、身を潜めて暮らした。その時の自伝的戯曲がもう一つのアンネの日記、「これはあなたのもの」で和訳が出ている。
 また、ホロコーストを生き延びた詩を収録した「ぼくとママは屋根裏に隠れた」の短編動画は、生と死のはざまにいる少年が、ブラインドの掛かったわずかな隙間から見える外の世界をつぶさに観察する、少年の感性の鋭さに身につまされる。物事を注視する日々が、ホフマンの化学を追求する能力を伸ばすことにつながった。アメリカに移住しハーバード大学院で博士号を取得し、コーネル大学の名誉教授として今に至る。
 2006年、息子と共に生まれ故郷に帰り、かつて隠れていた屋根裏部屋を訪問。当時4千人いたユダヤ系住民は、ホロコーストの犠牲になり生存者はわずか200人だった。ホフマンは慰霊碑を建立した。長崎原爆を題材にした絵本を出版した記念に2018年、ホフマンは来日し、すべての国に核兵器禁止条約への参加を求める被爆者国際署名にサインした。
  (バージニア通信員)