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「不発弾処理あと70年」 南風原で戦後史講座 講師・瀬戸さん 沖縄戦だけではない


「不発弾処理あと70年」 南風原で戦後史講座 講師・瀬戸さん 沖縄戦だけではない 戦後の不発弾問題に焦点を当てて講話する、南風原平和ガイドの会で恩納村史編さんなどに携わる瀬戸隆博さん=4月28日、南風原文化センター
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 【南風原】南風原文化センターは4月28日、戦後史企画「不発弾と戦後」をテーマに文化講座を開いた。南風原平和ガイドの会の瀬戸隆博さんと元消防署職員の赤嶺敏昭さんがそれぞれ講演した。これまでに起きた不発弾爆発事故を振り返り、不発弾の現状を伝えた。瀬戸さんは「沖縄戦で残った不発弾の処理はあと70年以上かかる。沖縄戦から150年だ」と指摘。「イスラエル・ガザやウクライナなど、現在起きている戦争も、何代にもわたって影響が出ることをもっと学んでいかないといけない」と語った。
 南風原文化センターでは約30年前から、4月28日を起点とした戦後史の企画展を実施してきた。今回は戦後の不発弾に焦点をあて、1974年の聖マタイ幼稚園不発弾爆発事故や2009年の糸満市での不発弾爆発事故なども取り上げた。
 県の消防防災年報によると、沖縄戦で沖縄に投下された弾薬量は約20万トン、その5%の1万トンが不発弾として残ったと推定されている。そのうち、復帰までに住民によって約3千トン、米軍によって約2500トンが処理され、復帰後は自衛隊によって2022年までに2122トンが処理された。発見困難で処理できない永久不明弾を500トンと見込んでも、なお約1878トンの不発弾が埋没していると推測されている。
 瀬戸さんはキャンプ・ハンセンでの在沖米海兵隊による県道104号越え実弾砲撃演習について紹介し「不発弾は沖縄戦だけの問題ではない」と指摘した。金武町などの資料によると、1972年の復帰時から97年までの累計で演習の実施回数が180回、発射弾数は約4万3900発。不発弾の数は公表されず、現状を把握できない状況にある。
 消防署勤務を経て、南風原平和ガイドの会に所属している赤嶺さんは、これまでに見てきた南風原町内の不発弾事故や原野火災の事例、避難誘導など自らの体験などを紹介した。
 町職員で防災担当の津波古充晃さんは同町の不発弾処理の現状を報告した。
  (田中芳)