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「集団自決」悲劇知って とかしき平和学習会 新垣キヨさん(96) 「戦争に反対を」


「集団自決」悲劇知って とかしき平和学習会 新垣キヨさん(96) 「戦争に反対を」 「集団自決」の様子を語る新垣キヨさん(中央奥)  =23日、渡嘉敷村北山
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 【渡嘉敷】渡嘉敷村教育委員会(金城満教育長)主催の「とかしき島平和学習会」が慰霊の日の23日に村内で開かれた。村民の戦争体験者と平和ガイドの講話や、戦跡碑を巡るフィールドワークを実施した。小学生から一般まで約20人が参加。「集団自決」(強制集団死)体験者の新垣キヨさん(96)らから、戦争当時の悲惨な状況や平和の尊さを学んだ。
 新垣さんは戦前、戦中の様子や自身が体験した「集団自決」の実相を語った。
 米軍が島に上陸した1945年3月27日、北山(にしやま)の日本軍本部壕付近に集まれと軍から命令があったと住民から言われ、姉と一緒に一家で北山に向かうと、島中の住民が集まっていたことを説明した。
 新垣さんは「叔父が軍から配られた手りゅう弾を爆発させた。家族は奇跡的に無事だったけど、円陣を組んでいた親戚16人が亡くなった。ほかの住民も『天皇陛下万歳』と叫んで亡くなった。山中の避難小屋で山菜やソテツなどの実を食べて生き延び、8月15日ごろに山から下りた」と悲痛な表情で語った。
 新垣さんは「戦争になったら軍人も住民もみんな狂気となって、平気で人を殺してしまう。平和なうちに、戦争につながりそうなものは反対しなければならない。今の時代も沖縄の現状が心配だ」と表情をこわばらせながら話した。
 新垣さんは講話後、参加者全員と一緒に「集団自決」の現場や日本軍赤松隊本部壕などを訪れた。当時を語り「これで最後の現場訪問だ。思い残すことはない」と話した。
 参加者の白須賀ひらりさん(12)は「集団自決で10歳以下の子どもが約100人亡くなったことが、とても悲しかった」と話し、柴海光祐さん(13)は「日本軍はどんな思いで住民を1カ所に集めて自決命令したのかな」と述べた。 (米田英明通信員)