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「養豚は私のアイデンティティー」 20年先見据え、目指すもの 喜納農場代表・喜納忍さん <マイフロントライン・私の最前線>


「養豚は私のアイデンティティー」 20年先見据え、目指すもの 喜納農場代表・喜納忍さん <マイフロントライン・私の最前線> 養豚場で豚の世話をする喜納さん(提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 普天間 伊織

 沖縄市にある喜納農場の代表、喜納忍さん(42)は県内の畜産業では珍しい女性のリーダーとして、3千頭のあぐー豚を飼育する農場を切り盛りする。2018年に3代目として家業を承継、20年に豚熱、同時期に新型コロナウイルス感染症の流行により打撃を受けた。さらに、コスト高騰など数々の危機を乗り越えてきた喜納さんが目指す夢などを聞いた。

喜納 忍さん

 ―農場を継いだ経緯は。

 「子どもの頃から両親の姿を見てきて、自然と家業を継ぎたいという思いが芽生えた。20代の頃には、周りの同年代の友人たちが週末に旅行したりおしゃれを楽しんだりしているのを見て、毎日ノーメイクで豚の世話をしている自分に劣等感を覚えて一度離農したものの、やはり養豚こそ自分の道だと考えて跡を継ぐことにした」

 ―これまで最も苦労した時期は。

 「それは間違いなく今だと思う。頼りにしてきた父が昨年病を患って、これまで父が担っていた業者とのやりとりや従業員管理の重要性を改めて思い知らされた。飼料やエネルギーコストの高騰も大きなダメージだ。豚熱が発生し殺処分となった時もコロナ禍にも、絶対に危機を乗り越え再建するという強い意志を持って、キッチンカーの運営やウェブの強化など工夫しながら乗り越えてきた。しかし、今は自身の経験不足にもどかしさを感じている。人生のターニングポイントに差しかかっていると実感している。揺らぐことのない芯を構築する時期なのだと思う」

 ―介護や子育てについて。

 「畜産業に限らず、家族の介護や子育てとうまく調整しながら仕事をすることが重要。夫の支えもあり、2人の子どもとの時間も大切にやりくりしている。父の介護も母や親戚を頼りながら協力し合ってやっている。1人で抱え込まないようにしている」

 ―今後について。

 「養豚は私のアイデンティティーそのもの。豚肉の文化は沖縄のアイデンティティーでもあり、地域の伝統を次世代につなげていかなければならない。県には観光立県沖縄を支える農業や文化芸能などの1次産業にももっと目を向けてもらいたい。個人的な目標としては、10年、20年先を見据えて地に足をつけて目指す畜産業の形を実現させたい。従業員はじめ関わる人、その家族も幸せにできるのが理想。これからも追い求める」

 (普天間伊織)


 きな・しのぶ 1982年、うるま市生まれ。名桜大学卒業後、実家の養豚農場に就農。3年後に株式会社がんじゅうに就職し、2018年に事業承継、合同会社喜納農場の代表となる。


 前例にとらわれず、新しいことに挑戦し、それぞれの“最前線”で道を切り開く女性たちがいる。各界で活躍する女性たちにその道に進んだきっかけや今後の目標などの話を聞く。