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「瀬底渡し船」歴史伝える 本部町 出身の大城さん、石碑寄贈


「瀬底渡し船」歴史伝える 本部町 出身の大城さん、石碑寄贈 除幕式に参加した内間区長(左から2人目)、大城会長(同7人目)と関係者ら=7月28日、本部町瀬底のロードパーク
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 【本部】本部町瀬底区(内間清彦区長)は7月28日、同町瀬底入り口のロードパークで石碑(瀬底渡し船歌碑=民謡)の除幕式を開いた。関係者や瀬底区民ら多数が参加して建立と除幕を祝った。
 瀬底島はかつて、沖縄本島の同町健堅と渡し船で行き来していたが、1985年2月に瀬底大橋が開通した。現在は路線バスも乗り入れている。瀬底渡し船の歴史や存在を後世に伝え、感謝の思いを込めて記念の石碑を建立した。
 同区出身で大永建設工業(嘉手納町水釜)の大城次男会長が石碑を寄贈した。高さ1メートル80センチ、幅1メートル50センチ。御影石はインド産、台座は県内の勝連トラバーチンを使用した。
 歌碑には民謡で瀬底渡し船の歌詞が1番から5番まで刻まれた。台座は説明版となっている。歌は作詞が上間清英さん、作曲が亀谷朝仁さんとなっている。大城会長、内間区長、平良武康本部町長、當山清博本部町観光協会長、瀬底幼稚園児ら12人で除幕した。
 大城会長は「会社の創業50周年記念事業の一環として寄贈した」とあいさつした。内間区長は「健堅と瀬底島の渡し船の発着地点が見える位置に歌碑を設置した。石碑を寄贈していただいて、ありがとうございます」と感謝した。最後は瀬底渡し船を、瀬底繋心会(けいしんかい)が歌、三線、太鼓で披露して、ロードパーク全体に響き渡り盛り上がった。
  (上間宏通信員)