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第二外科壕で有志が慰霊祭 糸満 「仏桑花の会」など40人参列


第二外科壕で有志が慰霊祭 糸満 「仏桑花の会」など40人参列 陸軍病院第二外科壕跡に向けて祈りをささげる参列者ら=6月22日、糸満市糸洲の陸軍病院第二外科壕跡(提供)
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 【糸満】糸満市糸洲の陸軍病院第二外科壕跡で毎年6月に、独自の慰霊祭を開いている人たちがいる。50年以上前に壕の存在を確認し、遺骨収集に携わった関係者ら有志だ。壕の周辺を清掃し、恒久平和の祈りをささげ、戦争で亡くなった人々を追悼している。今年は県内外からの参加者や沖縄国際大学の学生ら約40人が参列した。
 壕には同病院の従事者やひめゆり学徒隊らが避難したとされているが、壕の存在やその事実はあまり知られていない。尚家の子孫で歌人として活躍した故井伊文子さんや、井伊さんを中心に1972年に設立した社会奉仕団体「仏桑花の会」の本土側事務局長の故石川洋さん、沖縄ダイケン(山盛博文社長)の3者が、50年以上前に壕周辺の清掃を行った際に存在を確認し、遺骨を収集して同時に慰霊祭を開いた。以来、活動を継続している。
 慰霊祭には「石川洋に学ぶ会」の山内光子会長、井伊さんが総裁を務めたNPO法人「琉球の茶道ぶくぶく茶あけしのの会」の田中千恵子会長、沖縄ダイケンの職員やOB、石川さんと親交があった宗教法人アシュラムセンター(滋賀県)の榎本恵主幹牧師らが参列した。
 慰霊祭では、田中会長がたてたぶくぶく茶を壕の前に供え、ウチカビを燃やした。おきちゃんレコードの島幸子代表による祈り、般若心経唱和、賛美歌斉唱、アッシジのフランチェスコの祈り、クワイアチャイム演奏などが行われた。井伊さんの著書「仏桑花燃ゆ―沖縄返還を記念して」の中から一節も紹介された。
 榎本牧師は「来年で戦後80年を迎える。この慰霊祭がどんな時も平和への祈りとなるように続けていきたい」と話した。
 (中川廣江通信員)