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父の思い つくば市でも 平和を考えるパネル展参加 田中公子さん(65) 茨城県在住 住む地域盛り上げ、大切に


父の思い つくば市でも 平和を考えるパネル展参加 田中公子さん(65) 茨城県在住 住む地域盛り上げ、大切に
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 当時の科学の粋を集めた「つくば万博」が茨城県で開催されたのは1985年のこと。その会場となった大穂町、豊里町、桜村、谷田部町が87年に合併しつくば市は誕生した。研究都市といわれるだけに街づくりも緑地と都市機能が調和する。その地へ移り住んで「もう30年になる」と言う。

 「幼少の頃から書道をやっていた」のが運命づけていたのか。琉球大学の学内サークルの書道部で知り合った夫がつくば市の産業技術総合研究所に勤めることになったのが転機。学校の教員を辞めて移り住んだ。住環境も一変し、気持ちの上でも「やりたいことをやろう」と心機一転。持ち前の書道の才能を生かして教室を開設した。これまで26年の間には多くの生徒が巣立った。自らも個展を開催し、全国規模の書道コンクールの審査員も務める。

 父は県内の公衆衛生などに尽力した医師の吉田朝啓さんだ。故郷を遠く離れても、戦前戦後の父の歩みをそばで見て聞いてきた。それだけに「伝えなくてはいけない。わじわじーすることもいっぱいあって」。初めて沖縄を伝える企画に参加した。

 それが今月17~20日に筑波新都市記念館であった「平和を考えるパネル展」。沖縄戦と戦後、そして辺野古の新基地建設と現在までを紹介し、市民の考える場づくりに取り組んだ。開催したのは元教員や筑波大学の元職員ら。書道展の会場の抽選で記念館を訪れて、偶然にパネル展を知った。父の言葉も背を押したか。「中国にも近い。東南アジアにも近い。沖縄は軍事的な基地の要ではなく、平和のへそになるべき場所」

 パネル展の会期を通じて、ある記憶も懐かしくよみがえった。戦争で焦土と化した故郷に花を植えたいと父が家族を連れてよく出かけた。「糸満とか見晴らしのよい場所にブーゲンビリアなどお花を植えて回って」

 自らの住む地域を盛り上げ、大切にする思いは父譲りだ。つくば市で続けているのが「つくばオープンガーデン」。つくば市近隣のガーデニング愛好家たちが庭を公開する。今年は23回目。花と緑の自然美を創造した23庭が参加した。戦後の父の思いはつくば市でも継がれる。

 生まれ育ったのは首里。帰省のたびに気になるのが首里城地下の第32軍司令部壕だ。保存公開を前に安全対策の議論も進むが「辺野古(の新基地)を造るくらいなら、こっちに予算も技術も国はつぎ込んで」。故郷の平和に思いは募る。 

(斎藤学)


 たなか きみこ 1959年8月生まれ。那覇市出身。琉球大学保健学部を経て琉大病院の看護師となる。その後、教員試験を受けて、豊見城市(現在)の長嶺小学校の教員として勤務した。