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うるま・浜比嘉島のエイサー 旧盆 家族が集い、踊る<風・土・人 シマの伝統行事>


うるま・浜比嘉島のエイサー 旧盆 家族が集い、踊る<風・土・人 シマの伝統行事> ノロの前で踊るエイサー。勇壮ながらゆったりとリズムを刻む=8月18日、うるま市勝連比嘉
この記事を書いた人 Avatar photo 玉城 文

  うるま市浜比嘉島の比嘉区(平識勇区長)に伝わるエイサーが、8月18と19の両日に区内で披露された。旧盆の最終日(ウークイ)に当たる18日は午後8時に、ヌンドゥンチ(ノロ殿内)に約30人のメンバーが集まりスタート。地域外では見ることができないエイサーを見ようと多くの人が集まる中、35分にもわたって舞い続けた。その後メンバーは組ごとに分かれて仏壇のある家庭を回り、庭先で先祖を見送る舞を奉納した。

 浜比嘉島は「神の島」と呼ばれ、神事が多いのが特徴だ。平識勇・比嘉区自治会長(78)によると、旧暦1月1日に行われる初拝み(ハマウガン)や4月の御願バーリーなど、多くの行事が、住民の手によって執り行われている。

 比嘉区のエイサーはゆったりとしたリズムと手踊りが特徴。比嘉区出身者が屋慶名や赤野、南城市玉城で教え、それぞれのエイサーの手本となったといわれている。この日も2列の隊列を基本に、丸や丁の字など自在に変えながら、最後まで一致した動きで魅了した。

しなやかに手踊りを披露する女性たち

 およそ50年ほど前に那覇市の奥武山で行われていたエイサー大会では、3連覇の成績を残したという逸話も残っている。

 大会で3連覇を果たした時、リーダーとしてメンバーを率いた玉城弘さん(88)によると、舞は空手の形を参考にしており、パーランクーを上げるときは真っすぐと、バチを前に出すときは突きを意識しているという。そして「慌てず、ゆったりと踊ることが基本」だと先輩から教えられた。ウークイには午前0時を超えるまで区内を回り踊り続ける。炎天下の中で踊り続けて倒れる人もいたという。玉城さんは後輩の演舞を見ながら「家族が集まりエイサーを見て、ご先祖さまを見送れる。これ以上の幸せはない」と笑った。

独特の節回しの歌・三線を披露する地謡ら

 地謡として9曲を途切れることなく歌った波田間(はだま)真吾さん(36)は、以前は太鼓打ちだったが、三線が弾けるという理由で地謡に移った。島独特の歌い回しなどを、先輩の演奏を側で見て習得していった。「踊り手は増えるが、地謡は自分を含め2人だけ。後輩に引き継いでいかないと」と気を引き締めた。

 太鼓打ちの山根男雄(だん)さん(36)は、両親が比嘉区出身で島外に住む。高校や大学などで休むこともあったが、メンバーとして踊り続けてきた。「踊りは誇り。人は少なくなってきているが、続けていきたい」と汗だくの顔で笑った。

仏壇のある家庭を訪問。披露されるエイサーを軒先で堪能する家族

 軒先で子どもや孫、ひ孫と共にエイサーを楽しんだ平識説子さん(92)は「昔から見てきたが、以前に比べて人数が減って寂しい」と話しつつも「ことしも家族とエイサーを見ることができてよかった」と喜んだ。

  (文=玉城文、写真=ジャン松元)

衣装を着けてもらう子ども
隊列を組み、真っすぐに手を伸ばし、パーランクーをたたく踊り手ら
子どもたちも参加。伝統を受け継ぐ
国旗を手に、特徴的な手踊りを舞う女性や子どもたち

 浜比嘉島 琉球開びゃくの祖神アマミチューとシルミチューが住んだという言い伝えがあり「神の島」と呼ばれる。神事が多く、旧暦の元旦には御願(うがん)踊り、4月は御願バーリー、6月には綱引きが行われる。丑(うし)年の秋、3日間続けて踊る「大踊り(ウフアシビ)」も有名。五穀豊穣(ほうじょう)と平和祈念の踊りが多く残る。

 旧盆 沖縄のお盆は、旧暦7月13~15日に行われる。地域ごとに特色があり、4日間の地域もある。初日夕方に家の前で火をたいて祖先の霊を迎える「ウンケー」(迎え)で始まり、2日目を「ナカヌヒ」(中日)、最終日夜に祖先の霊をあの世に送る「ウークイ」がある。仏壇の供え物も地域よって違い、アダンの実、餅、豆腐、肉、昆布、サトウキビなどがある。期間中は、家族や親戚同士で訪ね合い、仏壇に線香を供える。期間中、エイサー、ウシデーク、獅子舞、綱引きなど、各地で芸能が催される。

比嘉区のDNA 引き継ぐ

 子どもから大人まで皆が一丸となってエイサーを引き継いでいる。ゆっくりとしたリズムで、途切れなく踊る独特の舞を、島の子どもは小さいころから親しみ、何度か練習すれば覚えてしまう。比嘉区のDNAのようなものだ。島の伝統をしっかりと守っていきたい。

(平識勇・比嘉区長)