今年のバスケットボールワールドカップの会場として大きく盛り上がった沖縄アリーナ。沖縄アリーナをホームとする琉球ゴールデンキングスは計画段階からかかわってきた。キングスが目指すアリーナ、そしてアリーナ確保が審査条件となっている「Bリーグ・プレミア」(新B1)への参加について安永淳一ゼネラルマネージャー(GM)に聞いた。(屋嘉部長将)
参考にしたのはアメリカのあの施設
-キングスを運営する沖縄バスケットボール前社長の木村達郎さんや安永GMもアリーナ建設を夢見ていた。2014年に沖縄アリーナ事業が動き始め、21年に完成した。アリーナの話が出てとき、安永GMらキングス側にも沖縄市から意見を聞かれた。
一番初めはアリーナが持っているポテンシャルや、どんなものが引き出せるのか、どんな効果が現れてくるのかを丁寧に市長や市役所の人たちに説明していかないといけないと思った。デジタルでなんでもできる時代になっているからこそ、人が集まって空間を共有することが大切だ。アメリカではそれを大切にし、スポーツで人と人とつないでいる。ただ単に経済効果、人が集まるだけじゃなくて、地元の方たちの暮らしが豊かになり、スポーツや文化芸能が身近にあることによって世の中が変わる。僕は街づくり、人づくりをアリーナがしてきたのをアメリカでずっと見てきた。
-沖縄アリーナに計画時から関わってきたキングス。造る際に参考にしたのが、アメリカのマディソンスクエアガーデンだった。
アメリカでは、アリーナに関して収容人数1万8000人ぐらいが一番良いといわれている。無理して人を入れると窮屈になって空間として良くなくなる。それよりも付加価値があって、ちょっとゆったり試合が見られるところを好むというのもある。1万6000~8000人規模のアリーナが多く、競い合っている。さらに新しい先端のIT技術や映像技術を取り込む技術の戦いになっている。
その半面、1968年に建てられた(NBAのニューヨーク・ニックスの本拠地である)マディソンスクエアガーデンは、建物を改装して人が集まる場所になっている。日本は建物を建てたときに整備はするが、維持のレベルはかなり低い。古くなればなるほど、建物はよくしていかないといけない。
沖縄アリーナのコンセプトは最新鋭。だけど、テクノロジー自体はあえて、めちゃくちゃこだわる必要はない。体の不自由な方、性別、年齢、人種、国籍問わず、平等にみんなが楽しめないといけない。例えば、トイレも男性と女性が同じ数、大きさでやるのではなく、女性用を多くして、女性が不自由なく楽しめたらいい。裾野を広げるという意味では、バスケ好きの人だけでなく、そうじゃない人たちも楽しめるようにしたい。
このアリーナは市の建物で多目的。稼働率は大事だけど、稼働率だけ良くて、街に生きがいが生まれなかったら何のために造ったのかということになる。街に生きがいができる、あるいは子どもたちの育成に貢献できるようなものをどんどんやっていくことが大事だと思う。
アジアへの進出も視野に
-沖縄アリーナが完成した後にも、佐賀県にSAGAアリーナ、群馬県にオープンハウスアリーナ太田とBリーグのチームのホームとなるアリーナが完成した。今後も千葉ジェッツやアルバルク東京といったチームのホームアリーナの建設計画が進んでいる。国内でバスケットを「観る」ことに特化した沖縄アリーナは今後どのようにほかのアリーナと差別化を図るか。
僕らは沖縄アリーナをコツコツとアップデートし続ける。年月がたっても、古くならない建物にする施設管理を心がけている。アリーナに来ることの楽しみをソフトもハードもアップデートしていきたい。
マディソンスクエアガーデンの前に来たら写真を撮る、といったことを僕らはつくろうとしている。この前もアリーナの外でウエディングの写真を撮影していて、むちゃくちゃうれしかった。観光バスが来るような場所になり、沖縄に来たらとりあえず、『行ってきたよ』と言える場所にしていくのが大事だと思う。
-国内でアリーナの建設計画が進む背景には、2026-27年シーズンから始まる「Bリーグ・プレミア」(新B1)の審査基準があり、ホームアリーナの確保を求めている。キングスはほかの基準もすでにクリアし、新B1参入へ大きく進んでいる、どのように新B1に挑むか。
まず、新B1になるまでに絶対日本一にならないといけないと思っていた。それは達成できた。新B1に上がることが目標ではない。沖縄の琉球ゴールデンキングスが名前を刻み続けられるのか、人を呼び込み続けられるのかだと思う。そのために全国展開というのを一つ考えている。世界のどこに行っても沖縄県民、うちなーんちゅがいる。日本中どこで試合をやっても、沖縄にゆかりのある方が応援に来てくれる。バスケのチームがないところに行っても、琉球ゴールデンキングスという名前をみんなが知っているようにならないといけない。
ただ、全国区になりたいだけでは足りない。昔の沖縄の方たちが海外と行き来をして、この島を繁栄させたようにプロバスケットボールを使って、アジアに出ていきたいなと思っている。