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パリ五輪向け「勝負の年」 憧れ、屋比久の背中追い レスリング天皇杯・グレコ97キロ級優勝 仲里優力 <ブレークスルー>


パリ五輪向け「勝負の年」 憧れ、屋比久の背中追い レスリング天皇杯・グレコ97キロ級優勝 仲里優力 <ブレークスルー> パリ五輪や佐賀国民スポーツ大会を控える2024年を「勝負の年」と言う仲里優力=2023年12月30日、浦添工業高校(屋嘉部長将撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 屋嘉部 長将

 昨年12月22日にあったレスリングの天皇杯全日本選手権で、男子グレコローマンスタイル97キロ級で初優勝を果たした仲里優力(23)(北部農林高―日体大出、佐賀県スポーツ協会)。今年はパリ五輪出場権をかけたアジア予選と世界最終予選、その先にあるパリ五輪、現在所属する佐賀で行われる国民スポーツ大会(国スポ)と大きな試合が続く。仲里は「忙しいが勝負の年。国スポにも五輪出場者として出られるようにしたい」と意気込んでいる。

進学後の苦難

 高校3年生の時に県勢初の高校国内主要大会5冠を達成するなど結果を残した仲里だが、進学した日体大での選手生活は順風満帆とはいかなかった。練習が厳しく、疲れから食事も取れず、わずか半年で20キロ以上体重が落ちてしまった。さらに1年生の後半から2年生にかけては膝の靱帯(じんたい)が切れ、指の脱臼などけがが重なった。さらに3年生になると、新型コロナの感染が日本でも始まった。仲里自身も感染し、体力が戻らず、3カ月間は練習ができなかった。

 大会も開催されず、「強くなっているのか、成長しているのかわからなかった」とモチベーションは下がるばかり。そんな仲里の支えとなったのが、幼い頃から一緒にレスリングをしていた屋比久翔平の存在だった。東京五輪出場に向け練習を重ね、五輪では銅メダルを獲得。間近で見てきた先輩の活躍は「鳥肌が立ったし、かっこよかった」。その後、各大会が再開された4年生では、インターカレッジで優勝するなど結果を残した。

沖縄での練習会で指導する仲里優力(右)=2023年12月30日、浦添工業高校(屋嘉部長将撮影)

佐賀へ移住

 卒業後も競技を続けたかったが、応援してくれる企業を探すのは難しかった。「見つからなかったら辞める」と家族にも相談していたが、国スポ開催を控える佐賀スポーツ協会から声がかかった。現在は佐賀県に住みながら競技を続けている。普段は、佐賀の高校生に指導しながら、月に1回のペースで母校の日体大に通い練習を重ねている。

 おぼろげに五輪は意識していたが、本格的に意識したのは2023年10月にU23世界選手権で3位に入ったことだった。90キロを超える階級でメダル獲得は男子ではフリーを含めて初めてのことだった。グレコローマン97キロ級はまだパリ五輪出場選手が決まっておらず、五輪出場権をかけたアジア、世界予選に出場するためには天皇杯優勝が条件だった。

 過去6年で天皇杯4度優勝の奈良勇太、県出身で昨年のアジア大会3位の鶴田峻大らを念頭に、「相手の成長も想像しながら、頭の中で何度も2人とスパーリングをした」。決勝は鶴田との県勢対決となり、冷静な試合運びで優勝を決めた。

国スポにも照準

 パリ五輪に向け、年明けから本格的な練習に取り組んでいる。出場への思いをより強くさせているのは2大会連続の五輪出場を逃した屋比久の存在だ。「死ぬ気でやってきたのも見てきたから、今回は俺が頑張る。俺が翔平良先輩に憧れたように、活躍してみんなから憧れる選手になりたい。五輪に出て、佐賀での国スポでも優勝する」。沖縄や佐賀の応援、そして偉大な先輩の思いも抱き、パリに向けた勝負が始まる。

(屋嘉部長将)