<金口木舌>火野葦平と10・10空襲


社会
<金口木舌>火野葦平と10・10空襲
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 1944年9月半ば、芥川賞作家の火野葦平は、航空機の故障で那覇に立ち寄った。その4年前にも来沖しており「那覇のあまりの変わりように、そぞろ感慨を禁じ得ない」と著書「琉球舞姫」に記した

▼詩と情緒の国、夢の島、乙女の恋の桃源郷…。当時の沖縄観光の宣伝文句は消え「戦争の荒荒しく埃っぽい喧騒」が街の表情を崩す。火野が見た「那覇の最後の姿」に戦争の足音が迫っていた
▼半月後、那覇は空襲によって焦土と化す。その報を「祖国の玄関へ近づいた巨大な戦影を、燃えたぎる悲痛の念」で聞いたという
▼10・10空襲から明日で79年を迎える。米軍によって軍事施設以外の学校、病院、民家も無差別に爆撃が加えられた。沖縄戦の「前哨戦」でもあった。戦前、戦後の歴史を踏まえ、火野は沖縄を「悲しい宿命の島」と表現した
▼戦後来沖した火野が残した詩を刻む石碑が名護市勝山にある。沖縄の「宿命」は今も続いているのだろうか。米軍の駐留、自衛隊の拡張が続く島々の姿をどう思うだろう。石碑に向かい、火野に問うてみたい。