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自民と連立主導/カリスマ失い公明打撃


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 公明党は、死去した池田大作創価学会名誉会長が敷いた政権参画路線を継続する。自民党との連立政権は野党転落時を挟んで20年以上続き、一時的に関係がぎくしゃくしたことはあったものの、相互依存を重ねてきた。ただ、支持母体のカリスマ指導者の存在は党が誇る組織力の源泉だっただけに、今後の党勢に影響する可能性がある。
 前身の公明政治連盟は1961年に誕生し、62年参院選で国政へ進出。64年、創価学会会長だった池田氏が政党化を提案し、公明党を結成した。「中道路線」を軸に政権参加を模索し、93年に非自民の細川内閣で悲願の政権入りを果たした。
 99年には自民党の小渕内閣との連立に踏み切る。背景に池田氏の決断があったのは言うまでもない。以後、自公路線継続は最優先方針となった。
 自公政権では結党以来の金看板「福祉と平和」を背景に、児童手当拡充や消費税の軽減税率導入、定額給付金などを実現し、存在感を示した。その半面、自衛隊のイラク派遣や集団的自衛権の行使容認では支持者の反発も招いた。
 公明党には歴史的経緯から、政教一致の疑念が付きまとってきた。70年には政教分離を打ち出したものの、対立政党からは池田氏ら創価学会幹部の国会への証人喚問や参考人招致をたびたび要求された。
 創価学会が表立って政治に介入することは避けてきたが、選挙での自民党との補完関係を深める上で欠かせないのが学会員の存在だ。「選挙区は自民、比例代表は公明」という相互支援が浸透していった。
 ただ創価学会は高齢化が進み、組織力に陰りが見える。2017年衆院選、19年参院選で比例票は700万票を割った。21年衆院選は711万票と持ち直したが、22年参院選は618万票に落ち込んだ。池田氏と直接接点があったベテラン議員は「池田先生が存命だったからこそ応援してくれた支持者は多い」とする。池田氏を失い、党勢維持の課題は今まで以上に重くのしかかる。今後、政治参加の在り方が議論される可能性もありそうだ。