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創価学会を巨大団体に/政教分離巡り批判も


創価学会を巨大団体に/政教分離巡り批判も 1974年12月、中国を訪れ周恩来首相(前列中央)らと写真に納まる創価学会の池田大作会長(同左から3人目)=北京(新華社=共同)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 15日、95歳で死去した創価学会の池田大作名誉会長は会長就任から半世紀以上にわたって事実上トップの地位に在り続け、学会を巨大宗教団体に成長させた。カリスマ指導者として会員から称賛される一方、批判的な書籍の出版差し止めを公明党トップが有力政治家に依頼した「言論出版妨害事件」や、公明党との政教分離を巡っては批判も付きまとった。 (1面に関連)

池田大作氏死去

 1928年、東京都大田区のノリ製造業者の五男として生まれた。家庭は父親の病気や事業経営の不振で貧しかったという。働きながら夜学で学び、友人の誘いで創価学会に入会したのは終戦後間もない47年。戸田城聖第2代会長から仏法や学問の他、礼儀作法や組織運営などを学んだ。
 60年に32歳の若さで第3代会長に。講演では野太い声で「苦しんだ者が、いじめられた者が必ず最後は勝つ」と強調。語り口はよどみなく、確信に満ちていた。会長就任時に140万世帯だった会員を国内外で大幅に増やし、日本827万世帯、海外280万人を誇る教団に育て上げた。
 50年代に学会が展開した「折伏(しゃくぶく)大行進」と呼ばれる激しい勧誘は、厳しい批判も受けた。後に「真剣さのあまり、非常識のそしりを受けるような行動もあったにちがいない。反省すべきは、反省しなければならない」と著書「私の履歴書」で振り返っている。
 また、学会に批判的な言論を巡る問題にも深く関わった。69~70年には、公明党の竹入義勝委員長の依頼を受けた自民党の田中角栄幹事長が、学会と公明党を批判した本の出版社や著者に圧力を加えるなどした言論出版妨害事件でも厳しく批判され、政教分離や言論の自由尊重を打ち出した。自身の女性問題などを掲載し、名誉毀損(きそん)と表現の自由が問題となった「月刊ペン」を巡る事件や、元顧問弁護士による創価学会恐喝事件で証人として出廷したこともあった。
 宗教指導者であるとともに、教育や芸術、国際交流にも力を入れた。創価大(東京都八王子市)や東京富士美術館(同)を創設したほか、中国の周恩来元首相、旧ソ連のゴルバチョフ元大統領、ケニアの環境問題活動家ワンガリ・マータイさん(いずれも故人)ら海外の政治家や文化人と対談、意見交換を重ねた。