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現実主義で米中重視 日本に冷ややかな視線 評 伝


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 米共和党のニクソン、フォード両政権で外交・安全保障を取り仕切った。最大の見せ場は中国共産党との歴史的な関係構築に尽きる。伏線として直前にまとまった沖縄返還交渉があった。現在の中国の台頭を見越し現実主義的なパワーバランスに基づく米中関係を重視した一方、日本への視線はどこか冷めていた。
 1971年に2度にわたって極秘訪中。72年のニクソン電撃訪中の地ならしに当たった。機密解除された会談記録によると、周恩来首相に「中国には普遍的な視点があるが、日本の視点は偏狭」「日本に幻想は抱いていない」と明かした。
 反共のニクソン政権で、中国共産党と手を結んだ背景には、台湾に逃れた蔣介石の国民党ではなく、北京の毛沢東が実質的な支配権を既に固めていたという現実がもちろんある。対ソ連の戦略的意味合いも大きい。
 ただその前段として、日本が繊維問題で譲歩する一方、米国が核抜きの沖縄返還を認めた69年の日米首脳会談は無視できない。繊維の対米輸出規制を日本側が速やかに履行せずに米国の怒りを買い、日本頭越しの「ニクソン・ショック」につながったといわれてきた。
 首脳会談の際に佐藤栄作首相とニクソン大統領の間で交わされたのが、核再持ち込みに関する密約だ。首相の密使を務めた国際政治学者の若泉敬氏は内密にするため、細かい段取りを詰めた。
 米側にとっては核も大切だが、繊維も重要だった。若泉氏の回顧録で、キッシンジャー氏は「俺がこんな細目にまで介入することはないんだ。米日関係が大事だし、ニクソン大統領が佐藤首相に個人的な敬意を表しているから、やっているだけなんだ」といらだちを見せている。
 23年、ワイマール共和国下のドイツに生まれた。38年、ナチスの迫害から逃れるためユダヤ人の両親と渡米。冷戦下の69年、ハーバード大教授からニクソン氏の国家安全保障問題担当補佐官に就いた。
 73年、ベトナム和平に努めたとしてノーベル平和賞を手にしたが、側近を重用し官僚に情報を渡さない秘密主義のほか、中ソの人権侵害や独裁の黙認、権力への露骨な擦り寄りで非難も浴びた。
 外交の大家として晩年まで米政権に頼りにされた。今年7月に米中関係の改善を目指したバイデン政権の意をくむ形で100歳を超えていたにもかかわらず中国を訪問し習近平国家主席と会談、米中関係安定の重要性を唱えた。(共同通信ワシントン支局長 堀越豊裕)