<金口木舌>テーマパークとの共生


<金口木舌>テーマパークとの共生
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 テーマパーク計画で話題の嵐山。その名が付いたゴルフ場跡は名護市と今帰仁村にまたがるが、嵐山という地は名護市の呉我にある

▼ハンセン病療養所計画とその反対運動で地域が揺れたのは1932年。「嵐山事件」として知られる。人里離れた地に患者を隔離しようとした側、計画に反対した側の双方に、ハンセン病への恐怖や偏見があったのだろう
▼沖縄戦証言にも出てくる。本部町の山中にいた住民が嵐山を経て多野岳へ逃れたという話である。戦後、パインが栽培され、嵐山展望台やゴルフ場が生まれた。歴史の変遷をたどった地である
▼テーマパークは新たな歴史を刻むことになるのだろうか。壮大な計画だ。事業者の目は世界に向いている。貧困問題解決の一歩にもしたいという。意気込みは分かる。お願いしたいのは土地の歴史や風土、人々の営みも見つめてほしいということ
▼展望台一帯から羽地内海を眺める。心が洗われる思いがする。そして考える。この地で暮らす豊かさとは何か。自然との共生、やんばるんちゅとの共生とは何だろう。