<金口木舌>ゴーヤとゴーヤー


社会
<金口木舌>ゴーヤとゴーヤー
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 ある言葉を「言語」と定義するか、それとも言語に従属する「方言」なのか。そんな議論について言語学者の田中克彦さんが著書「ことばと国家」で記している

▼どちらなのかは「ことばの話し手の置かれた政治状況と願望とによって決定される」と田中さんは説く。沖縄で言えば「政治状況」は厳しい。そこで話されている言葉は言語だとする「願望」は存在する
▼言葉には主従関係があるのか。従属する側の言葉が粗雑に扱われては、話し手の尊厳を傷付けないか。そんなことを都内であった討論会「ゴーヤとゴーヤーはどう違う?」で考えた
▼県外の野菜売り場ではゴーヤーを「ゴーヤ」と表記する。違いは日本語の発音の用法に起因するとも言われるが、登壇した牧師の平良愛香さんは納得がいかない。「どう考えてもゴーヤーなんだけど。勝手に日本風にアレンジされてもなあ」
▼この違和感は、今の沖縄が置かれた境遇にもつながる。政治にしろ文化にしろ、日本風の味付けで事を済ませていないか。粗雑な調理ではゴーヤーも浮かばれない。