<金口木舌>五臓六腑の矢を放つ


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<金口木舌>五臓六腑の矢を放つ
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 タクシーのラジオから第九の合唱が流れる年の瀬。空は鈍(にび)色の雨模様で、住めばこれもこの時期の沖縄の日常のひとつだ

▼同じ亜熱帯の奄美の自然を描いた画家の田中一村の画面を覆うのは「燦々(さんさん)とした光ではなく、湿度を感じさせるうっすらとした光と影」との論評も妙に腑(ふ)に落ちる。70年前の12月25日、日本に復帰した奄美の空も薄曇りだったか
▼戦後8年間の米統治下の末、「クリスマスプレゼント」(ダレス米国務長官)と呼ばれた奄美の日本復帰。琉球から薩摩の版図に置かれ、戦後は日本から分断され職を求めて4人に1人が島を出たという。圧政、離散、差別の歴史は長い
▼詩人で、奄美大島日本復帰協議会の議長だった泉芳朗(ほうろう)は署名や断食運動の先頭に立ち人心を束ねた。自作の詩「断食悲願」で「よしや骨肉ここに枯れ果つるとも」と不退転の決意を込め、こう結ぶ。「祖国帰心/五臓六腑の矢を放とう」
▼政府の南西シフトでともに日本の防波堤に置かれる兄弟島。郷愁と哀切に満ちる奄美の島唄を思い起こしつつ、心に平和の矢を研ぎ続けよう。