<金口木舌>名護博物館の40年


社会
<金口木舌>名護博物館の40年
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 琉球在来豚アグーの全県調査が始まったのは1981年のこと。戦後、西洋豚の普及でアグーは激減し、絶滅の危機にあった。調査したのは開館前の名護博物館準備室

▼アグーの特徴がある豚を収集保存。譲渡先の北部農林高校で原種に近づける「戻し交配」に取り組み、93年にアグーを復元した。名護博物館は中心的な役割を担った
▼博物館は1日で開館40年。市民の手でつくる「ぶりでぃ(群れ手)」の理念で、資料収集に取り組んできた。85歳になる写真館主の古波蔵眞一郎さんは伝統のピトゥ(イルカ)漁を記録し、多数の写真を同館へ寄贈した
▼「この人になら(写真を)任せられる」。古波蔵さんは記念式典で功労者表彰を受け、同館職員の田仲康嗣さんの名を挙げた。開館当時の情熱や志は脈々と受け継がれている
▼開館3年目から「子ども博物館」講座が始まる。小学生が自然や暮らし、文化を体験する講座を受け、学芸員となった人もいる。40年で貴重な資料収集が進んだ。それ以上に、文化を大切にする心を紡いだ歩みにも思える。