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避ける気持ちあった…チビチリガマのガイド知花さん(36)、転機となった出来事 「集団自決」伝え続ける<“新しい戦前”にしない 沖縄戦79―80年>


避ける気持ちあった…チビチリガマのガイド知花さん(36)、転機となった出来事 「集団自決」伝え続ける<“新しい戦前”にしない 沖縄戦79―80年> チビチリガマ内の犠牲者の遺品について説明する知花昌太朗さん=6日、読谷村波平(ジャン松元撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 金盛 文香

【読谷】沖縄戦で米軍が沖縄本島に上陸し、村波平のチビチリガマで住民83人が「集団自決」(強制集団死)などに追い込まれた1945年4月2日から79年が経過した。戦争体験者が高齢化する中、体験継承への新たな動きもある。慰霊祭に参加した知花昌太朗さん(36)は、チビチリガマの記憶を伝え、平和の大切さを伝えるガイドとしても活動している。非体験世代から戦禍の教訓を受け継ぐ決意を新たにしている。

 昌太朗さんは、チビチリガマ生存者の証言収集に尽力した元村議・知花昌一さんの長男。約10年前から県外の修学旅行生らを受け入れる民泊を始め村内の戦跡を案内するようになった。ただし、チビチリガマの体験はあまりに重く、どこか避ける気持ちもあった。

 転機は2年前、昌一さんが体調を崩したことだ。父から頼まれ、代わりにガイドを務め始めた。

 当初、父が伝えるほど詳しい内容を伝えられないことに葛藤もあった。しかし「父の代わり」という認識をやめてから「ふっきれた」と語る。「勉強中という立場で、分かる部分から伝えている」と知識を広げてきた。「戦争の全部を把握している訳ではない」と話すが「地域で育ったから分かることもある」と自分のできることを見つけてきた。

 当時の体験を通して「いかに戦時中の教育が恐ろしいかが分かる」と話す昌太朗さん。チビチリガマ内部に残された「集団自決」に使用されたと見られる刃物や人骨を見つめる。「米軍に捕まった方がひどい目にあう」「天皇陛下に恥をかかせる」。軍国主義の教えに沿って家族を手にかけた人々の証言を紹介し、ガマを案内した。

 昌太朗さんは一人一人、体験者や亡くなった人の名前を挙げながらガイドする。「屋号を見ればどの辺に住んでいたか分かる。地域の人だから親近感がある」

 ガイドを始めてから「聞いた全ての人が興味を持ってくれる訳ではない」との難しさも知った。しかし「何かのタイミングで振り返って調べるきっかけになればいい」との思いで記憶をつなぐ。 (金盛文香)