今年で最後の開催となる沖縄国際映画祭(島ぜんぶでおーきな祭)。実行委員長を務めてきた吉本興業前会長の大崎洋氏に、映画祭を終了する経緯や吉本興業として挑戦しようとしたこと、新しい「新おーきな祭」の考え方などを聞いた。 (聞き手・嘉手苅友也)
―なぜ、沖縄で国際映画祭を開催したのか。
「僕は44年間、沖縄に通っている。沖縄の子どもたちに、好きなことで夢を見させてあげたかった。ダウンタウンの松本君(松本人志)が、カンヌ国際映画祭に招待されたことをきっかけに、沖縄国際映画祭を思いついた」
―新人監督の掘り起こしや、県産映画の機運が高まったという意見もある。
「少しは前進したと思う。3・11の東日本大震災の時、日本全国が自粛ムードの中、『エール、ラフ&ピース』をテーマに、沖縄から本土へエールを送ったことは印象深い。つらい時も助け合い、笑顔いっぱいの映画祭をやろうと県民一丸になった。悲しい歴史の中でも、そうやって暮らしてきた沖縄だから説得力があり、できたことだと思う」
―実行委解散の経緯は。
「(吉本興業の)持ち出しがかさんで赤字でやっていたが、(2023年に)吉本興業会長を退任して責任が取れなくなったため、一区切りにしようと決めた。吉本社内で整理してもらい解散の承認をもらった。3月4日の実行委臨時総会で委員長として解散を説明した」
―吉本興業が継ぐという話はなかったのか。
「沖縄の人たちと相談しながら吉本興業との関わり方は今後考えるが、まずはリセットする。映画祭で沖縄の人たちと関係性を築いてきた。映画にとらわれないアイデア、意見を言い合えるようになったことで、『新おーきな祭』になると思う」
―16回まで続いたが、沖縄のメンバーだけで継続できない体制に意見もみられる。
「16回の間にバトンタッチできなかったことは、僕も吉本興業も沖縄の人たちも反省した。その分信頼関係もできたと思う。僕が吉本興業を辞めて、万博(大阪・関西万博)をやるって言ったわけだから。みんなを振り回してしまうことは反省するが、沖縄の人たちと新しいスタートが切れることはよいことだ」
―映画祭に社内で異論は。
「不安がっていたと思うが、吉本興業も地域の人とつながりを持たないとだめだと思っていた。東京や大阪だけでテレビの視聴率がいいとか、勝った負けたばかり意識すると(地域との)バランスがよくない。社員も芸人も、北海道から沖縄・先島諸島まで、頭と心の隅に(地域のことも)毎日感じていないといけない。赤字は良くないがやるべきことだと思った」
―県民、映画祭関係者へ。
「本当に長い間ありがとう。これからもっと沖縄の人たちと寄り添って、新しいお祭りをつくりたい」