<金口木舌>絆を紡いだ川崎県人会の1世紀


<金口木舌>絆を紡いだ川崎県人会の1世紀
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 名護城跡に「白い煙と黒い煙の碑」が建つ。貧しい老父母と県外へ出稼ぎに出る娘との別れを描いた稲垣国三郎の随筆がきっかけで、この地に建てられた。戦前戦後の教科書にも採用された

▼山で燃やされた松の木から上がる「白い煙」を船上で見詰める娘。老父母は汽船の「黒い煙」を名残惜しく見送った。名護を離れる若者と家族の別れの情景は、知名定繁作の民謡「別れの煙」にも描かれた
▼県人らの多くが出稼ぎで移り住んだのが神奈川県川崎市。京浜工業地帯の中心地で、女性は紡績工場、男性は「カタミヤー」と呼ばれる人力の運搬業などで必死に働いた
▼1923年の関東大震災で多くの県出身者が命を落とした。翌年、働き場所、住む場所を失った県人らが互いに支え合おうと結成したのが川崎沖縄県人会。4月末に創立100周年を記念し、名護博物館でパネル展を開いた
▼別れの煙に見送られ、絆をつむいだ1世紀。近代産業の労働力となり、沖縄と川崎の世代を超えた交流の基礎も築いた。パネルには、移住者らの労苦が詰まっていた。