首里城のほぼ東側に位置することから「東苑」とも称された王家の別邸(離宮)。1677年、尚貞王が薩摩の使者や中国の冊封使をもてなすために造営した、とされ望仙閣や茶亭、琉球独自の意匠をこらした庭園もあった。琉球建築の傑作の一つといわれたが、沖縄戦で焼失。復元運動が有志の手で進められている。
御茶屋御殿 (うちゃやうどぅん)
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琉球新報社
首里城のほぼ東側に位置することから「東苑」とも称された王家の別邸(離宮)。1677年、尚貞王が薩摩の使者や中国の冊封使をもてなすために造営した、とされ望仙閣や茶亭、琉球独自の意匠をこらした庭園もあった。琉球建築の傑作の一つといわれたが、沖縄戦で焼失。復元運動が有志の手で進められている。