沖縄戦 (おきなわせん)


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 1945年4月1日の米軍の沖縄本島読谷村渡具地・玻名城上陸から同7月2日の琉球攻略作戦終了宣言までの93日間の戦闘。その前に米第10軍歩兵第77師団の一部による慶良間諸島上陸作戦が行われているが、これは沖縄作戦遂行のための「前哨戦」と見るべきであろう。また日本軍の沖縄守備隊(軍司令官牛島満陸軍中将)の組織的抵抗が終わったのは6月23日であるが、日本軍はその後も山中や自然壕(ガマ)などに隠れて抵抗を続け、米軍は残存兵の掃討戦を展開している。米軍上陸時、沖縄の日本軍守備隊は26個の歩兵大隊を含む2個師団1旅団プラス砲兵、戦車隊、設営隊など約6万、これに対し米軍はバックナー中将率いる第10軍や海兵隊など5個師団11万6000を上陸に投入、県民を巻き込んだ死闘が展開された。沖縄戦の犠牲者は米軍1万2500人、日本軍(地元防衛隊含む)約9万人、住民の戦死者は10万人以上にのぼった。

『最新版 沖縄コンパクト事典』2003年3月・琉球新報社発行、2,415円(税込)