?~1635(?~崇禎8) 1622~35年の三司官。向姓大宜見殿内の始祖。朝致は諡で、元の名乗は重信。33年、尚豊冊封の謝恩王舅として紫金大夫蔡堅と共に渡唐。薩摩侵入以来、しばしば延長されていた貢期を3年2貢に回復した。
国頭朝致 (くにがみ・ちょうち)
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琉球新報社
?~1635(?~崇禎8) 1622~35年の三司官。向姓大宜見殿内の始祖。朝致は諡で、元の名乗は重信。33年、尚豊冊封の謝恩王舅として紫金大夫蔡堅と共に渡唐。薩摩侵入以来、しばしば延長されていた貢期を3年2貢に回復した。