首里王府 (しゅりおうふ)


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 琉球王国の統治機構。首里城を王城としていたので、こう呼ばれる。本来は中山王府、琉球王府で、首里王府は俗称。首里に王府が開かれた年代は明確でないが、だいたい尚巴志王代とみられている。近世期に整備された王府の機構は、国王の下に摂政・三司官に属する評定所があり、表15人と称する評議員がいて諸政務を協議、また三司官・摂政の諮問について協議答申し、国政運営の要となっていた。役所は、申口方、物奉行所に大別され、申口方には鎖之側、双紙庫理、泊地頭、平等所の各長官、物奉行所には所帯方、給地方、用意方の各物奉行がいて、各役座を統括した。一方、聞得大君をトップとする神女組織も、王府祭祀を司る重要な位置を担っていた。

『最新版 沖縄コンパクト事典』2003年3月・琉球新報社発行、2,415円(税込)