中山 (ちゅうざん)


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 尚巴志の三山統一までは、那覇以北石川以南の中部地域(那覇・中頭)が、中山王の支配下であった。1382年、琉球の実情を調査した明国の路謙は、琉球が中山・南山・北山に分かれ「三王が雄長を争い相攻撃す」と皇帝に報告、越えて『明史』の1415年には三山の中でも、中山がますます強いとある。中山が三山を統一した後は統一琉球と同義語となり、〈琉球国〉は〈中山国〉とも呼ばれ、王は〈琉球国中山王〉を名乗った。

『最新版 沖縄コンパクト事典』2003年3月・琉球新報社発行、2,415円(税込)