尚貞王代、摂政の羽地朝秀が『羽地仕置』で、人も五穀もともに日本から伝来、鳥獣草木の名も、また言語も同じだが、隔たっているために多少の相違が生じたに過ぎないと説いたのに基づく。薩摩支配を是認する意図もあったと見られる。
日琉同祖論 (にちりゅうどうそろん)
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琉球新報社
尚貞王代、摂政の羽地朝秀が『羽地仕置』で、人も五穀もともに日本から伝来、鳥獣草木の名も、また言語も同じだが、隔たっているために多少の相違が生じたに過ぎないと説いたのに基づく。薩摩支配を是認する意図もあったと見られる。