第2次世界大戦当時、看護要員として沖縄県女子師範学校と県立第一高等女学校在学中の15歳から19歳までの女学生で組織された学徒隊。南風原陸軍病院に配置され、昼夜の別なく看護をはじめ壕掘り作業など様様な勤務にかりだされる。沖縄戦に巻き込まれ、生徒・職員210人が犠牲となった。沖縄戦の敗北が1945年6月18日に明らかになり解散命令が出るが、女学生らの多くは非業の死を遂げた。
ひめゆり学徒隊 (ひめゆりがくとたい)
この記事を書いた人
琉球新報社
第2次世界大戦当時、看護要員として沖縄県女子師範学校と県立第一高等女学校在学中の15歳から19歳までの女学生で組織された学徒隊。南風原陸軍病院に配置され、昼夜の別なく看護をはじめ壕掘り作業など様様な勤務にかりだされる。沖縄戦に巻き込まれ、生徒・職員210人が犠牲となった。沖縄戦の敗北が1945年6月18日に明らかになり解散命令が出るが、女学生らの多くは非業の死を遂げた。