住民の顔もはっきり 1925年の普天間の写真発見 戦争で消えた松並木も鮮明に


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1925年ごろに普天間の「宜野湾並松」で撮影したとみられる写真。ミルク面や獅子舞、旗頭、衣装などから当時の地域の民俗芸能についても知ることができる(野々村孝男さん提供)

 1925年ごろに撮影され、当時は国の天然記念物に指定されていた宜野湾市普天間からつながる松並木「宜野湾並松(じのーんなんまち)」で、地域住民が民俗芸能をする日に撮影されたとみられる写真など、戦前の貴重な写真88枚がこのほど見つかった。宜野湾市立博物館によると、普天間の松並木の風景の写真はこれまでも見つかっているが、地元住民の顔もはっきり見え、民俗芸能の衣装も身に着けた写真が確認されたのは初めて。戦前の民俗芸能を知る上でも価値の高い写真だとしている。

 確認された写真88枚は、16年から45年の沖縄戦直前まで約29年間、沖縄に滞在した鹿児島県出身の農業技師・松永高元さん(1892―1965)が撮影した。勤務先だった名護や普天間、小禄(現・那覇市)の写真がアルバムに残っていた。松永さんの次女・多恵子さん=宮崎県=から那覇市の歴史研究家・野々村孝男さんが入手した。

 松並木の写真については、戦前から普天間で暮らす元普天間区長の宮城正道さん(86)も確認し、戦前の普天間の松並木だろうと証言した。

 宜野湾市立博物館学芸員の平敷兼哉さんは「ミルク面など、民俗芸能についての戦前の写真は初めて」と指摘する。戦前の普天間で4~5年に1回程度の頻度で行われた地域行事「普天間のマールアシビ」は、25年にも行われた。その際に組踊「久志の若按司」も演じられた記録があり、衣装を着て写真に写る人々が出演した可能性があるという。

 平敷さんは「ミルク面や旗頭の形、子どもたちの衣装なども写り、貴重だ。地域の祭りを守っていく意気込みを感じる」と話す。

 写真を入手した野々村さんは「それぞれの地域史の資料として、地域の人たちに役立つようにできればと思う」と話し、写真に写る名護や普天間、小禄の地域で有効に活用してほしいと強調した。
 (古堅一樹)