「戦後ひと桁」色づく沖縄…戦災逃れた水田や花売る子ども カラー写真207点公開


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
水田で稲作に従事する人々=1952~54年ごろ、沖縄本島(琉米歴史研究会提供)

 【北中城】NPO法人琉米歴史研究会(喜舎場静夫理事長)が15日、1952~54年に沖縄本島各地で撮影されたカラー写真207点を公開した。那覇市の映画館や首里の龍潭周辺、北部の水田での稲作風景などが撮影されている。米兵に花を売る子どもたちや中城村の闘牛など、人々の生活の様子も確認できる。

 在沖米軍基地の小学校で勤務していた教師が撮影し、子孫から写真を託された米国在住の元米兵ドン・キューソンさん(77)が同NPOに提供した。

 写真は南城市玉城や大宜味村塩屋、名護市汀間などで戦災を免れた水田、家並みなども記録している。喜舎場さんによると、当時の沖縄で撮影されたカラー写真は珍しくないが「各地で生活の様子が記録されている点は貴重だ」という。

 同NPOは2022年に中城村、北中城村で開く復帰50周年記念写真展でこれらの写真を一般公開する。喜舎場さんは「沖縄の美しい自然や当時のウチナーンチュの生活を多くの県民に見てほしい」と話した。